東日本大震災から10年。未曽有の大災害という現実に接して、多くの人が価値観や自分のキャリアを見直すことになりました。経営者が考えた「リスク」とは? 夫婦が始めたルーティンとは? ARIA世代が始めた学びや新しい生き方とは? ※所属や肩書は取材時のものです

価値観、生き方が変わった

 震災は、明日にも自分の身に起きるかもしれない――そう考えた人は多いでしょう。ナレーターの近藤サトさんは、非常用持ち出し袋に入れる防災用品を見直したときに、自分が当然入れようとしたものを見て愕然としました。本当に必要なものなのか考えるきっかけになり、今ではトレードマークとなったヘアスタイルが誕生します。一方、被災地を訪れた澤円さんは、津波を経験した人に伺った話から、日常の習慣の大切さに改めて気づきました。

2011年の東日本大震災後、非常用持ち出し袋に入れる防災用品を見直しました。必要なものを買い足し、袋に詰めようとしたとき、ふと目に留まった光景に愕然(がくぜん)としました。乾パンの隣に3本の白髪染め――。私は、防災グッズの中になんの迷いもなく、白髪染めを用意していたのです。避難所生活になった場合、白髪がばれてしまうと考えた自分に、正直、失望しました。そのとき初めて、「なぜ白髪を染めているのだろう」と疑問に感じたのです。


近藤サト(ナレーター)

妹たちへ 近藤サト 50歳のグレイヘアがくれた自由


東日本大震災の後、宮城県女川町に行かせてもらったことがあって、そこで命からがら津波の被害から生き延びた方から聞いた話が忘れられなくて。あの日の朝、お嬢さんが登校した時、「たまたまその朝に限って頭をなでずに見送ってしまった」と。胸まで迫ってきた津波に死を覚悟した時、「なぜ娘の頭を今朝なでてあげなかったんだろう」と後悔したとおっしゃっていて。きっとあの日、同じような思いを抱えたまま亡くなってしまった方がたくさんいるんですよね。この話を聞いて以来、「なんでもない日常の習慣」を愚直に大切にしようと、自分に約束したんです。


澤円(日本マイクロソフト 業務執行役員 テクノロジーセンター長)

澤円×澤奈緒のリスペクト習慣 仕事の好機を夫婦でギブ


3.11をきっかけに、(パートナーである)彼は子どもたちに安全なものを食べさせたいと広島に住民票を移し、働けなくなったおじいちゃんやおばあちゃんからレモン畑を引き継いだんです。手伝いをするために私も広島に通うようになって、ずいぶん変わりました。若い頃はグッチやベルサーチを着て、ピンヒールを履いていた私が、気づいたらかごを背負って草刈りをしている。「肩に食い込まないようにかごひもにホースをかぶせておいたよ」なんて言われて、全く抵抗なく「ありがとう」とか言っている自分にビックリ。ユニクロのダウン着て。あ、でもマフラーはグッチですけど(笑)


島田みさ(マーサ・スチュワートウエディングス ジャパン創刊編集長)

50代からはギブ&テイクよりもギブ&ギブで生きていく