仕事が一気になくなった

 直接の被害が大きかった地域以外にも、仕事がすべてストップしてしまったという人たちがいました。PRを手掛けるiNTO代表取締役の小松﨑友子さんは、受注していた日中合作映画のプロモーションに関する入金が1年間ストップ。また、遺骨を海にまく「海洋散骨」事業で起業した村田ますみさんは、繰り返し流れる津波の映像や原発事故による海洋汚染のニュースの影響を受けて、予約がほとんどキャンセル。そこから、経営危機を迎えた事業や気持ちをどう立て直したのでしょうか。

この映画、撮影スタート直前に東日本大震災が起きてすべてが中断しました。映画の公開決定まで1年間、まったく入金はなく、上海や北京への出張も、経費はすべて持ち出しでした。でも、ほかのPRの仕事もいただいて日々の生活は成り立っていたし、当時は社員もいなかったので、「家賃が払えて食べていければいい」と思っていました。それで大好きな映画の仕事ができるなら幸せだと。


小松﨑友子(iNTO代表取締役)

コロナで思う 就職氷河期に苦しんだ私たちの時代が来た


電話がひっきりなしに鳴って、どれもが入っていた予約のキャンセルでした。津波で建物も人もすべてが流される映像は強烈で、さらに原発事故で放射能に汚染された水が海に流れ、海洋散骨なんてとんでもないという雰囲気。夏までは船がほとんど出せませんでした。しかし同時に、あの震災の日から、多くの人の心の中に「確かなものなんて何もない」という意識が芽生えたのではないでしょうか。死というものが身近になった出来事でもあったと思います。


村田ますみ(ハウスボートクラブ代表)

母の最期の願いを受けた「海洋散骨」がライフワークに