東日本大震災から明日で11年を迎えます。この節目に、防災セットなどの備えを確認したり、緊急時の避難経路や連絡手段を確認するのはとても大切。さらに、いざというときに心の支えとなってくれる「地元コミュニティ」についても改めて考えてみてはいかがでしょう。人とのつながりは防災用品とは違って、お金を出せばすぐに買えるものではありません。一歩を踏み出して、少し時間をかけて築き上げてきた8人のケースが道しるべとなってくれます。

自宅周辺の“地元”とつながる

 これまでは「寝るために帰る」場所だった自宅周辺に知人が増えると、いざというときに本当に心強いはずです。新たな出会いがサードプレイスや人生の複線化につながって、人生100年時代への不安が和らぐことも。コミュニティに入る、コミュニティをつくる、を実践した人たちのケースを集めました。

東京などの大都市には他地域から流入してくる人が多いです。しかしほとんどの人は、地域につながるきっかけを持てずにいるようです。特にこれまでは、ビジネスパーソンは都心に働きに出て家には寝るために帰ってくるだけ、という人が多かったのではないでしょうか。(中略) 困りごとに直面して初めて、地域につながりがないと気づくのが実情だと思います。


水谷衣里(世田谷コミュニティ財団代表理事)

地元・世田谷で「困ったときに助けてもらえる人」になる


今は特に、コロナ禍で人のつながりが希薄になっていますが、大山団地内には180のサークルがあって、高齢者も八百数十人参加しています。そういう場をつくって情報提供すればいい。それをプロデュースできる人が地域に何人いるか、ですよね。大山団地は4000人が住む巨大団地ですが、周囲にアンテナを張って必要なものは何かと情報収集する人があちこちに散らばっていれば可能です。人材バンクもつくりました。ここまでできるようになるのに10年かかりました。


佐藤良子(東京都立川市の大山団地自治会)

加入率100% 「日本一住みたい団地」の自治会改革術


高度成長期の日本を支えてきた人たちが、人生の最後の時間を寂しく過ごすなんて、このままでいいわけがない、私がなんとかしなくちゃ。そうだ、高齢者が立ち寄れるカフェを開けばいいんじゃないか、という思いが強くわき上がりました。


佐竹輝子(相模原市相武台団地「ひばりカフェ」オーナー)

母、義母、夫の介護で諦めたカフェの夢 64歳で現実に


実は飲食業にもランドリー業にも興味があったわけではなくて、コンビニでもよかったんです(笑)。コーヒーもランドリーも、すべては町の人と接点を持つためのツール。それをきっかけにどんな景色が見られるかに、興味がありました。


田中元子(グランドレベル代表取締役社長)

「喫茶ランドリー」 実家のような“家事室”が人を呼ぶ


私はみんなに「50歳過ぎたら昼スナックのママになろうよ!」って勧めているの。まあ、スナックじゃなくてもいいんだけどさ、要は自分が主宰者になって、自分の興味を元にゆるいつながりの場をつくるといいってこと。人を集めていけば、その中で自分のチャンスも広がる、人にもチャンスを与えられるじゃない。


木下紫乃(「スナックひきだし」ママ)

私にもできる?昼スナックのママになるコツ、教えます