だから、最初は父親を探すことで、自分を見つけようとしていました。デビュー作『につつまれて』(1992年)は父親を探して自分を見つけることをテーマにしました。次の『かたつもり』(1994年)も同じくプライベートな映画。でも、あの映画を撮ったとき、客観的なまなざしを自分の中に見つけた。登場した養母、「おばあちゃん」は私にとって日常。私にとってはカメラを向けるのも日常。でも、日常の中に埋没しないで、俯瞰で見られるようになったんです。それが作品作りにいい影響を与えてくれました。
―― 作品には客観性が必要だ、と。
河瀬 そうです。独りよがりの作品では人様と共有できない。ものづくりでは、客観性を持てる人が人と感覚を共有できる。それが私にとって最初のハードルを越えたな、ということでした。
私にとって次の転機となった作品は『萌の朱雀』(1997年)です。それまで1人で作れたものが、その作品から30人以上のスタッフを監督として動かしていかなきゃいけなかった。迷いと戸惑いがすごくあって。まだ26歳のときでした。