―― 何かに導かれているような感覚ですか。

河瀬 まさにそうです。30年前の私がオリンピック公式映画の監督を務めるなんて想像すらできない。そもそも、カンヌすら考えられなかった。『萌の朱雀』(97年)でカンヌ国際映画賞の新人監督賞(カメラ・ドール)を取った時も、実は最初はオランダのロッテルダム映画祭に招待されていたんです。本来ならば、ヨーロッパの他の映画祭に出品された作品はカンヌには出られない。なのに、オランダで知り合った人からカンヌの関係者の手にフィルムが渡り、すごく感銘を受けてくれたのが出品につながった。日本の誰もが想像すらしなかったところで賞が舞い降りた。私にとって、映画を撮ることは何かに導かれているような、そんな感覚です。

―― オリンピックではどんな映画を撮るつもりですか。

河瀬 IOCからは「独自の眼差しでオリンピックを撮ってもらいたい」というリクエストがありました。単なる「記録」ならば、もうその役割はテレビが担っている。その点では、まだテレビ放送がそこまで普及していなかった前回の市川崑監督の時とは状況が違う。私がやれることは、オリンピックの記録ではなく、オリンピックを通してストーリーを紡ぐこと。つまり、映画でないといけない。逆に、それならできるな、と。私の眼差しで撮るならできると思ったんです。今はまだ選手も決まっていないので、情報を集めている段階ですが。

―― これまでの河瀬作品からは想像がつかないですが、スポーツを題材にした映画を撮ろうと考えたことはこれまでにあったのですか?

河瀬 すっごく考えていました。スポーツの映画を撮りたいと思い続けてきました。私、スポーツを見たら必ず感動して泣くんです。マラソンでも泣く、高校野球や高校サッカーなんてもう涙なしでは無理!

2007年に『殯の森』がカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したのは、92歳の養母の介護、2歳の息子の子育てに追われている時だった。2009年にはカンヌ国際映画祭で、カンヌフランス映画監督協会による功労賞「ゴールデン・コーチ賞」を受賞。写真はこのときに贈られたトロフィー。日本人初、女性初の快挙だった
2007年に『殯の森』がカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したのは、92歳の養母の介護、2歳の息子の子育てに追われている時だった。2009年にはカンヌ国際映画祭で、カンヌフランス映画監督協会による功労賞「ゴールデン・コーチ賞」を受賞。写真はこのときに贈られたトロフィー。日本人初、女性初の快挙だった