世界の最先端を体感できる都市、ニューヨーク。この街に1996年から在住し、ビジネス・コンサルタントとして第一線で活躍する渡邊裕子さんの最新リポートをお届けします。

 2020年9月18日、87歳で亡くなったRBGことルース・ベイダー・ギンズバーグ米連邦最高裁判所判事(「ギンズバーグ判事の死でNYが青色に染まった理由」参照)。彼女の人生がなぜこれほど多くの人たちから強い共感を呼ぶのか。もちろん、RBGが女性の権利のために闘い(男性の権利のために闘ったケースもあるが)、多くの女性のために道を切り開いてきたことは理由の一つだろう。

 それだけではない。彼女自身が極めて優秀にもかかわらず、ただ女だという理由だけで差別され、理不尽な思いを味わった人であること。それでも諦めず、負けずに闘い続けた人であることが大きいのではないだろうか。その生きざまが、身をもって「諦めちゃいかん」と言っているような気がして、励まされるのではないだろうか。

RBGは、ただ女だという理由だけで差別されて理不尽な思いを味わった人、それでも諦めず、負けずに闘い続けた人だった(写真:AFP/アフロ)
RBGは、ただ女だという理由だけで差別されて理不尽な思いを味わった人、それでも諦めず、負けずに闘い続けた人だった(写真:AFP/アフロ)

夫のサインなしにクレジットカードも作れなかった

 RBGが大学院で学び、就職しようとした(が、できなかった)当時、1950~60年頃、米国の多くの州では、女性は夫のサインなしにクレジットカードを作ることもできなかったし、妊娠を理由に女性を解雇することが許されていたりもした。RBGは後に、当時最高裁で性差別について訴える弁論をしたときのことを振り返ってこう話している。

「私が話している相手は、性別に基づいた差別なんてものは存在しないと思っている男性たちでした。そのことは分かっていました。私の仕事は、本当に性差別というものがあるんですよということを彼らに教えることでした」
原文

I knew that I was speaking to men who didn't think there was such a thing as gender-based discrimination, and my job was to tell them it really exists.

 映画『RBG 最強の85才』の中にも、その当時を振り返って、彼女が「私は幼稚園の先生になったつもりで、男性判事たちに辛抱強く説いていましたね」と述べるシーンがある。