「やりたかったのは、これなんじゃない?」

 実家に戻って3カ月ほど。特にやりたいこともなかったが、何か手に職をつけたい、できれば群馬らしさのある仕事をしたいと感じていたある日、県内で開催された絹の展示会に誘われた。

 「あまり気が進まずに行ったのですが、その会場で一人の女性染色家さんが、繭から手作業で糸を取る座繰りの話をしてくださったんです」。彼女自身は座繰りの経験はなかったが、群馬県と碓氷製糸農業協同組合(当時)が座繰り技術の保存に取り組もうとしていること、碓氷製糸で働けば学べるかもしれないことを教えてくれた。

 「あっ、自分がやりたかったのは、これなんじゃないか、と直感しました

 碓氷製糸は、現在は全国で2カ所しかない、国産の繭を原料にした機械製糸を行っている製糸場。すぐに碓氷製糸に連絡を取り、面接を受けて、翌月には住み込みのアルバイト契約で働くことになった。昼間は工場で製糸の補助作業をし、仕事が終わると敷地内にある寮の部屋で、やはり座繰りを学びに来ている同僚の女性と2人で取り組んだ。

「当時は教わる人もなく、同僚と2人で毎晩試行錯誤しながら学んでいました」
「当時は教わる人もなく、同僚と2人で毎晩試行錯誤しながら学んでいました」

 「当時、教えてくれる指導者は特にいなかったので自分たちで文献や本を調べたり、赤城で座繰りをしている80代の女性に教わりに行ったり。このやり方は使えるとか、これはダメとか毎日、試行錯誤していました」

試行錯誤で学び、プロとして独立

 繭はまず80度以上の湯で煮てほぐれやすくするが、最初は温度や時間の見当がつかず、軟らかくなりすぎたり硬すぎたりで失敗の繰り返し。巻き取る作業も、糸の角度によって切れたり、うまく巻き取れずにからまったり。「夜な夜なやっていましたが、3カ月ぐらいしたら何とか糸が巻き取れるようになり、組合と県が開催する染織作家向けの糸の展示会に出展させてもらえて。工場の中でも座繰りの仕事ができるようになりました」。碓氷製糸で1年半ほど学んだ後に独立したが、プロとして鍛えられたのはそこからだった。

 手で引いた糸は太さが均一ではないが、一定の範囲に収まっていないと織物の厚みが変わってしまうため売り物にならない。原料の繭も生産農家や季節によって状態が変わり、常に安定した出来上がりにするのが難しい。さらに「同じ生糸でも細くてなめらかな糸、野性的で強さのある糸、あるいは反物用、帯用といろいろな販売先のニーズがあって、作り分けられないと売れません。糸を扱う業者の方に何年も鍛えられました」