これだと思える仕事に巡り合えず帰郷

 「氷河期世代なんですよね。周囲でもなかなか思うような職につけず、妥協して就職していく人が多かったです」

 中野さんは高校まで地元・高崎で暮らし、東京の大学に進学。美術史を専攻しながら、在学中にグラフィックデザインの専門学校にも通い、DTPや印刷技術の基礎を学んだ。当時普及し始めていたDTPは「旬」な技術。印刷会社に就職し、パソコンで画像の加工処理をしたり、デザイン全般の補助的作業や雑務に追われたりしていたが、次第に「やりたかった仕事ではない。しっくりこない」と思うようになった。

 「やっぱり美術に関わる仕事がしたい」と転職。ギャラリー勤務などいくつかの仕事を経験したが、迷いは晴れなかったという中野さん。毎日、満員電車に乗り、遅くまで働く生活にも疲れていた。

 休みを使って群馬の実家に帰っていたとき、ふと「今まで気が付かなかったけど、生まれたこの故郷はなんていいところなんだろう、と思えました」。

 「東京で頑張って働いたけど、もう帰ってもいいかなと。何をするあてもなく、取りあえず仕事にきりをつけて、戻ってきました」