手の技と身体感覚から生まれる唯一無二の仕事。「手しごと」を生業に選んだARIA世代の日常、仕事との出合い、世界観を聞きます。和紙すきを応用した和紙造形という技法でアート作品や絵本、文具や雑貨を作る西村暁子さん。創作のインスピレーションは、10歳の息子さんとの言葉のないコミュニケーション、ネコたち、日々の暮らしから生まれるといいます。

 壁に掛かったアート、ノートやポストカード、箱……。西村暁子さんのアトリエに並んだ作品はどれも、手ですいた和紙によって絵柄を表現したもの。1つの色の中には無数の繊維が作り出す表情があって、同じものは2度と生まれない。色と色のにじむような境界線で描かれる世界は優しい魅力にあふれ、つい触れてみたくなる。

 西村さんのアトリエは、古民家を活用した東京都東村山市の複合文化施設「百才(ももとせ)」の一角にある。大きな井戸があった土間の部分を改装。昔は染め物工房だったというこの場所で毎日、制作に取り組んでいる。

コウゾの皮をむいて煮てからたたき、柔らかくしたものを染料で染める。水に溶いて簀(す)に流し、少しずつ和紙ができていく
コウゾの皮をむいて煮てからたたき、柔らかくしたものを染料で染める。水に溶いて簀(す)に流し、少しずつ和紙ができていく
アトリエで制作中の西村暁子さん。紙すきに欠かせない大きな「舟」は、多目的に使えるトロ舟を代用し、20年以上使っている
アトリエで制作中の西村暁子さん。紙すきに欠かせない大きな「舟」は、多目的に使えるトロ舟を代用し、20年以上使っている

「自分で作れるのでは?」が和紙づくりのきっかけ

 「和紙作りに入ったきっかけは、専門学校の仲間とグループ展をしたときに和紙を使った照明を作ろうとしたのですが、欲しい紙がなかなか見つからなかったんですね。それでふと、『自分でも紙をすいて作れるのでは?』と思ったんです

 西村さんは1974年生まれ。大学の家政学部生活造形科で、家具の設計などを学んだ。その一方で、友人と一緒に小さな劇団で演劇に熱中。「空間美術や衣装を考えるのが楽しくて、裏方を専門にやりたかったのですが、人が少なくて舞台にも立ちました」

 就職活動では、空間デザインへの関心からいくつかの企業を受けたが内定は得られず。就職氷河期まっただ中だった。「そのまま、空間設計の専門学校に1年間行きましたが、途中で自分は設計には向いていないと気づいて。でも、バイトでも好きなことができればいいや、くらいに考えていました」

 専門学校卒業後は派遣社員になり、CADやDTPの知識を身につけて、いくつかの会社で仕事をした。文具メーカーの企画設計部門にいたとき、手掛けた商品が大量生産の後、大量廃棄されることにストレスを感じていたそうだ。

 そして同じ頃、世田谷和紙造形大学で和紙作りを学び始める。和紙造形大学とは1年間に8回、2泊3日の合宿で和紙制作を実地に学ぶコースで、4年間続く。合宿以外のときは自宅で細々と、習ったことを繰り返し練習していた。

 「昔から絵を描きたいという気持ちはすごくあったんですが、下手なんですよ。でもそれが和紙造形にはかえって合っていたようです。絵が上手な方は、描くようにはいかないので意外に苦労されることもあるようで」

 やればやるほど、作りたいものが次々に出てきて、和紙造形にすっかりはまってしまったという。展覧会に作品を発表して賞を取るようになり、2006年には紙の造形作家の登竜門といわれる今立現代美術紙展で大賞を受賞。その後、妊娠したタイミングで会社勤めを辞めて、作家活動に専念した。

アトリエで原案を練り、ラフ画を描き、型を作り、紙をすく。原料のコウゾを煮るときは、隣にあるシェアキッチンを使うことも
アトリエで原案を練り、ラフ画を描き、型を作り、紙をすく。原料のコウゾを煮るときは、隣にあるシェアキッチンを使うことも