中学校の国語教師から俳人になり、「俳句の種まき」を掲げながらコツコツと俳句の裾野を広げる活動を続け、50代後半で一気に人気者になった夏井いつきさん。プライベートでは43歳で離婚、49歳で「まさかの再婚」をしています。最終回は、再婚をした理由を入り口に、松尾芭蕉、正岡子規、そして100年後の日本にも話が及びました。

(1)プレバトで大ブレイク 知られざる素顔
(2)43歳で離婚、生活苦の中「意地でも俳人」
(3)俳句が運んできた49歳の「まさかの再婚」 ←今回はココ

「もう2度と結婚はしたくない」と思っていたけれど…

 「ネットテレビで中島らもさんと対談をしませんか?」

 と、番組企画書を手に加根兼光さんが私の前に現れたのは、離婚して2年後くらいのときでした。第一印象は「いかにも業界の人やなあ」(笑)。NHK松山局の俳句番組や愛媛新聞の連載記事などをたどって、私を見つけてくださる方がそのころ少しずつ増えていたんですね。だから、この人もそうなのかな、と。

 後から分かったのですが、彼はずいぶん前から私が選者を務めていた俳句サイトの常連で、「兼光」の俳号でレベルの高い俳句を熱心に投句していた人でした。

 ネットテレビの番組は、らもさんがお亡くなりになったことで企画自体が流れてしまったのですが、兼光さんとはその後も別のお仕事のお話もあってお会いして。まあ、そのうちにだんだん人柄も分かってきて、自然にお付き合いが始まりました。お互いいい大人なんだし、こんな感じで老後のボーイフレンドでいてくれたらいいな、くらいに思っていたのですよ、私は。

 ところが、お付き合いを始めて数年が過ぎた頃、兼光さんから「籍を入れませんか」と切り出されました。

第一印象は「いかにも業界の人やなあ」だった
第一印象は「いかにも業界の人やなあ」だった

 結婚? それはないでしょ。

 結婚そのものに懲りていたわけではありません。でも、結婚したら離婚の可能性が出てきてしまう、それが嫌だった。どんなに「離婚しないでいよう」と思っても、この先どうなるか誰にも分からないじゃないですか。

 一緒になるのは難しくないのにねえ、別れるのはエネルギーをむちゃくちゃ使う。それも負のエネルギーをね。それがどれだけ心に大きな負担をかけるか。私だけじゃなくて、みんなそうですよね。明るい顔で離婚できる人なんて絶対にいない。だからもう2度と結婚はしたくないと思っていました。