中学校の国語教師から俳人になり、「俳句の種まき」を掲げながらコツコツと俳句の裾野を広げる活動を続け、50代後半で一気に人気者になった夏井いつきさん。プライベートでは43歳で離婚、49歳で「まさかの再婚」をしています。今回は、離婚後の暮らしについて聞きました。

(1)プレバトで大ブレイク 知られざる素顔
(2)43歳で離婚、生活苦の中「意地でも俳人」 ←今回はココ
(3)俳句が運んできた49歳の「まさかの再婚」

「天職」を辞め、俳句…ではなくバレーボールに熱中

 30歳のとき、家庭の事情もあって「俳人になります」と校長にたんかを切って学校から飛び出しましたが、俳句に向かってすぐに走り出したわけではありません。

 走り出すどころか、やり始めたのはバレーボール(笑)。あ、私はこんな低い身長ですが、大学時代はバレーボール部のキャプテンでした。それまでは教師の仕事が忙しかったのでね、しばらくは家族の世話をし、わが子とたっぷり触れ合いながら、ママさんバレーをやってのんきに暮らすのもいいかなあ、って。

 それに私は、「俳人になります」なんて言っておきながら、それまで句会というものに出たこともなかったし、俳句で仕事をするとはどういうことなのかも分かっていなかったんです。俳句を作ることはめちゃめちゃ楽しく、学校を辞めてからは句会にも参加するようになり、その面白さにのめりこんでいきました。でも、俳句はあくまでも趣味。専業主婦なので、焦って外で働く必要もありませんでした。

1957年、愛媛県生まれ。「教師の仕事は天職だと思っていました。好きな仕事から離れるためには、『踏み切り板』が必要だった。それが俳句だったの。ほかになかったのよ」
1957年、愛媛県生まれ。「教師の仕事は天職だと思っていました。好きな仕事から離れるためには、『踏み切り板』が必要だった。それが俳句だったの。ほかになかったのよ」

 ところが、43歳のとき離婚して、うっかりシングルマザーになっちゃった。そこで初めて、こりゃ大変だ、と本気になりました。

 あのとき、私のことを心配した元同僚や先輩が、学校の講師の口をいっぱい持ち込んでくれました。経済的にはホントにありがたかった。でもね、あれだけたんかを切って辞めたくせに、こんなところで教師の仕事に戻れるか? 戻れねえ! 私は俳句で生きていく、そうじゃなきゃイヤだ。だから、全部断りました。