テレビ番組『プレバト!!』で、芸能人が作った俳句を愛情あふれる辛口で一刀両断にする俳人・夏井いつきさん。中学校の国語教師から俳人になり、「俳句の種まき」を掲げながらコツコツと俳句の裾野を広げる活動を続け、大ブレイクをしたのは50代の後半。プライベートでは43歳で離婚、49歳で再婚。「これまでに多くの壁があった」と話す夏井さんが、その壁をどう乗り越えてキャリアを切り開いてきたのか、60代を迎えた今、何を思うのか。全3回でお届けします。

(1)プレバトで大ブレイク 俳人・夏井いつき知られざる素顔 ←今回はココ
(2)43歳で離婚…私の人生を美談にしたくない
(3)俳句が運んできた49歳の「まさかの再婚」

俳句は、生きる杖になる

 敷居とかハードルとか壁とか、「俳句」と聞くと誰もが感じてしまうこういったものを壊すのが自分の役割だと考えてこれまで活動を続けてきました。『プレバト!!』のお話をいただいたときは、テレビの力で広く俳句の種がまけるので、ありがたいなあと思っていたのですが、番組がスタートして、まあ驚いた。敷居もハードルも壁もいっぺんにぶち壊してくれるものが現れるとはねえ。

 俳句というのは、3歳の子どもから90歳、100歳まで、日本語が話せるのであれば誰もが楽しめる希少な文芸です。しかも、生きていく上での武器にもなる。俳句というアイテムを一つ持っていれば、人はいろいろな形で救われるのです。私自身を振り返っても、人生の節目節目に俳句がありました。そして、俳句に支えられて生きてきました。

1957年、愛媛県生まれ。中学校の国語教師を8年間務めた後、俳句の道へ。テレビ番組では着物姿でおなじみだが、番組収録以外で着ることはないという。「着物は1着も持っていないんです」
1957年、愛媛県生まれ。中学校の国語教師を8年間務めた後、俳句の道へ。テレビ番組では着物姿でおなじみだが、番組収録以外で着ることはないという。「着物は1着も持っていないんです」

初めて俳句を作ったのは、中学校の教師時代

 私が俳句と出合ったのは、松山市の中学校で国語の教師をしていた20代のとき。きっかけは、教師が集まる懇親会の幹事を任されたことです。学期末の懇親会の座席を決めるとき、くじ引きをするんですが、数字の書いてあるくじでは味気ないなあと思ったんです。数字の代わりに俳句にしたらいいんじゃないかしらって。

 それで、歳時記から適当に俳句を選んでカードに書き、裏側にはみかんとかコップとか、俳句の内容からイメージできる絵を描いて、絵を表にしてテーブルの上に置きました。

 で、入り口で先生たちにくじを引いてもらうと、みんなワーワー言いながら、絵をヒントに自分の席を探し回る。これで結構間が持つんですよ。そうこうしているうちにどんどん席が埋まり、いつも遅刻してきて周りをイラッとさせる先生も最後にぽつんと残った席へスムーズに滑り込む。で、和やかに乾杯へ。

 これが結構ウケたのですよ。なので次の会ではさらなるウケを狙って、内輪ネタの俳句を作りました。「教頭が会議中に寝ていたよ」みたいないいかげんなやつを人数分(笑)。

 実はこれが、私にとっての初めての創作でした。