ロシアのウクライナ侵攻や、台湾を巡る中国と米国の駆け引きなど、日々世界からたくさんのニュースが届きます。世界地図を通して読み解けば、ニュースの裏にある各国の思惑が浮かび上がってくるのです。世界地図を広く眺めて戦略を練る地政学について、地政学者の奥山真司さんに、詳しく話を聞きました。実は地政学には戦争にまつわる黒歴史がありました。

(1)ウクライナ情勢で注目の地政学に黒歴史 ルーツは戦争に ←今回はココ
(2)緊張する台湾海峡 「海の通り道」で国際情勢を読み解く
(3)世界のニュースを地政学で読み解いてみれば

地理を学んで成功したドイツ人に欧州諸国が注目

編集部(以下、略) 地政学とは何なのですか?

奥山真司さん(以下、奥山) 地政学が何かを知るために、それが成立した歴史的背景からお話ししましょう。

 地政学は英語ではGeopoliticsと呼ばれ、ドイツで生まれたといわれています。はるか昔から、人間は集団で生活する上でどこに住むのがいいのか、どこに畑をつくるのがいいのか、敵がやってきたときにどこで守りを固めるかなどを決定する際に、地理の知識が重要だと考えてきました。

 集団が生きていくためには土地が大事というのが地政学の基本的な考え方です。いくつもの集団の間で繰り広げられてきた土地や水を巡る争いを通して、人類が培ってきた知的伝統が地政学の基礎です。

 さらに地政学が重要視されるようになったのは19世紀。日本は江戸時代の終わりくらいで天下太平の世でしたが、欧州は18世紀の終わりから戦争を繰り返していました。また、欧州諸国が海外に植民地を広げるうちに、地理の知識の重要性を感じ始めます。

 そんな中で文献を集め、しっかり測量もして知識を積み上げていったのが、真面目で勤勉なドイツ人でした。

 19世紀半ばまでは、ザクセン王国やプロイセン王国などドイツ語を話す人の国は各地に点在していましたが、「ドイツ」という国はありませんでした。ドイツ人たちが地理の知識を生かして戦術を立て、戦争に連勝し、自分たちの国家をつくったのは、ようやく1871年になってからでした。

 普仏戦争(1870~71年)でプロイセン王国がフランスを倒しドイツ帝国を成立させたとき、道路や地理や植物の植生まで徹底的に調べたといわれています。戦争に勝ち続けドイツ帝国を誕生させたのを見て、欧州諸国はドイツの成功の秘策を学ぼうとしました。

大英帝国が戦略立て直しのためにまとめた地政学

奥山 中でも注目したのは英国です。1815年にナポレオンが負けてからしばらくは欧州が平和な時代。どこかの国が力を付け始めると英国が周辺国を支援して押さえ込むといった手法で、うまく管理できていました。

 植民地政策によって1860年代には世界一のGDP(国内総生産)をたたき出していた大英帝国でしたが、そのピークが過ぎた頃にドイツという国が目の前に現れたのです。それを見て、英国が戦略を立て直すために研究し体系化したのが地政学的な考え方です。

 1904年に英国人のハルフォード・マッキンダーという地理学者が地政学の考え方をまとめました。

大航海時代を経て貿易が盛んになり富を得た国々は、熱心に世界の地理情報を集めるようになった(写真はイメージ)
大航海時代を経て貿易が盛んになり富を得た国々は、熱心に世界の地理情報を集めるようになった(写真はイメージ)