ルワンダ大虐殺の一枚の写真から感じた「怒り」

羽生 遠い日本に住む私たちにとっても、心が痛む話ですね。そもそも瀬谷さんが武装解除という仕事をしようと思ったきっかけは何だったんでしょうか?

瀬谷 大学進学を控えた高3のときに、世界的なニュースになっていた「ルワンダの民族大虐殺」の報道写真を新聞で見たのがきっかけです。

 当時、ルワンダでは100日間で100万人が虐殺され、200万人が難民となりました。コレラで亡くなりかけているお母さんを泣きながら起こそうとする難民キャンプの子どもの写真を見てすごくショックを受け、紛争地で働くことを考えるようになったんです。

 そう思い至った理由はいくつかあるんですが、そのひとつは「怒り」でした。普通に生きている人たちの生活が、ある日突然、理不尽なことでないがしろにされている。私自身、田舎の裕福ではない家庭環境だったことから、社会への不満を抱いていたこともあり、理不尽さへの怒りを強く感じたんだと思います。

瀬谷さんが紛争地で働くことを考えるようになったのは、「大学進学を控えた高3のときに、世界的なニュースになっていた『ルワンダの民族大虐殺』の報道写真を新聞で見たのがきっかけです」
瀬谷さんが紛争地で働くことを考えるようになったのは、「大学進学を控えた高3のときに、世界的なニュースになっていた『ルワンダの民族大虐殺』の報道写真を新聞で見たのがきっかけです」

まだ誰もやっていない分野だから、自分が切り開くチャンス

羽生 紛争地のニュースにショックを受ける人は多くても、そこから自分で紛争地に行こうと考える人はほとんどいないですよね。平和な日本で暮らしている私たちには、遠い世界に感じてしまうのが、正直なところだと思います。

瀬谷 そうですよね。自分の得意な英語を生かせる道だというのも大きかったですね。ちょうど進路について悩んでいたので。

羽生 でも、やはり紛争地というのは「怖い場所だ」という恐れが先に立ってしまいそうです。

瀬谷 当時の日本には紛争地についての専門家がいなくて、大学でも学べる場所がありませんでした。まだ誰もやっていない分野だから、自分が切り開くチャンスだと考えたんです。一枚の写真で自分の価値観が大きく変わり、「世界から争いをなくすにはどうしたらいいのか」、その答えを知りたいという強い思いがわきあがってきました。