1980年代に活躍した作詞・作曲家 宮下智(とも)こと、ウォーマック夕美子(ゆみこ)さん。結婚を機に渡米、17年の専業主婦生活を経て50代からショコラティエに転身しました。57歳で離婚後、事業が拡大する途上で大規模な山火事被害に遭い自宅が全焼、やむなく帰国。60代を迎えてからはトリュフ専門店をオープン、人気男性アイドルへの楽曲提供、ロサンゼルス在住米国人との遠距離恋愛など、人生を味わいつくしています。波乱万丈な半生を振り返り、65歳の今思うこととは?

(1)トシちゃんからキンプリまで 作曲×チョコ職人の二刀流
(2)渡米し主婦17年→ショコラティエに 仕事の成功と卒婚
(3)「ここにあるチョコ全部ください」メリー喜多川の気配り ←今回はココ

編集部(以下、略) 2017年10月米国カリフォルニア州北部で起きた山火事は、まだ5年前の出来事なのですね。火事で自宅を失ってから、生活を立て直すのは大変だったのではないでしょうか?

ウォーマック夕美子さん(以下、ウォーマック) 火事の後の避難生活で一緒に過ごした友達は、夫との離婚話を進めている最中でね。彼女も1人で逃げていたので、2人でカリフォルニア郊外に家がある別の友達を頼ってしばらく泊まらせてもらいました。明日着る服も下着もないという状態は大変だったけれど、彼女と一緒だったおかげで、避難生活は楽しかった記憶のほうが多いです。

 何にもない状態になってもありがたかったのは、一時避難先の友達はおしゃれな洋服のセレクトショップを経営していて、着る服もない状態の私たちを見かねて、『大変だからこれあげる。好きなものを自由に持っていって』とセールの売れ残りやサンプル品を譲ってくれたんです。一緒に逃げた友達と、今ではあの頃のことを思い出してよく笑い合っているくらい、火事の経験は私たちの間でジョークのネタにしています(笑)。

「大切なものをなくしても、必要なものはまた入ってくると思うんです。友達がくれた洋服は、『こんな普段は着ないようなものをいただいていいんですか? ラッキー!』という感じのすてきな服ばかりでとてもありがたかったですね」と火事被害後に心が救われた経験を語るウォーマックさん
「大切なものをなくしても、必要なものはまた入ってくると思うんです。友達がくれた洋服は、『こんな普段は着ないようなものをいただいていいんですか? ラッキー!』という感じのすてきな服ばかりでとてもありがたかったですね」と火事被害後に心が救われた経験を語るウォーマックさん

事業再開のめどが立たず「今後の人生を考えたい」と帰国

―― その後、生活の拠点を日本に移したのはなぜですか?

ウォーマック 銀行に預けてあった事業資金などのお金は残っていたとはいえ、家はなくなりましたし、街が燃えた後って、化学物質や煤(すす)などいろいろなものが燃えた臭いですごいんです。ワインとチョコレートを組み合わせた新商品の提携話を進めていたナパのワイナリーも、敷地の3分の1が燃えて復興の見通しが立たない状態でした。

 何をどうしたらいいか分からない状態だったので、とりあえず自分の今後の人生について落ち着いて考えたい。米国で新しい家を見つけるよりは、日本には友達も親戚もいるし、ひとまず日本で温泉に入ってゆっくりしようと思って日本へ帰ることにしました。