新型コロナウイルスという未曽有の危機に世界中が揺れる中、医療従事者に向けた迅速かつ大規模な支援活動で注目された特定非営利活動法人ジャパンハート。SNSで「#マスクを医療従事者に」というハッシュタグが拡散されるのを目にした人も多いはずです。理事長を務める吉岡春菜さんにジャパンハートの活動、そしてこれまでのキャリアについて聞きました。

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(下)ジャパンハート吉岡春菜「私は、聞いて、待つリーダー」

医療者から届いた「マスクが足りない」の悲鳴

―― コロナ禍において特定非営利活動法人ジャパンハート(以下、ジャパンハート)が、どのような思いでどのようなアクションをしたのか、教えてください。

吉岡春菜さん(以下、敬称略) 私たちは医療格差の解消のための支援を行う日本発のNPOです。25年前、当時30歳だった医師の吉岡秀人(春菜さんの夫)が渡航先のミャンマーで個人的に始めた医療支援がきっかけとなって、2004年に国際医療ボランティア団体を設立。「医療の届かないところに医療を届ける」を理念に、発展途上国や日本国内の僻地(へきち)・離島、災害被災地域などに医療者を派遣したり、研修機会を提供したりする活動を続けています。

 コロナは、私たちの活動にも多大な影響を与えました。活動拠点のミャンマー・カンボジア・ラオスでは、感染拡大予防のために日本人医療者の人数を最低限に絞り、治療の現場を守る体制を急きょ整えることに。その結果、現地に派遣していた医療者の大多数が帰国し、国内で待機していました。

 すると、短期ボランティアに参加したことのある全国の医療者から「マスクが足りない!」という悲鳴が続々と届いたんです。感染症と闘う医療者にとって、マスクはウイルスと闘うための装備として、なくてはならないもの。ジャパンハートの活動をいつも支えてくれている医療者たちを、今度は私たちが助ける番だと、4月半ばにマスク提供支援を始めました。

吉岡春菜 ジャパンハート理事長(小児科医)
吉岡春菜 ジャパンハート理事長(小児科医)
1979年、大阪府生まれ。2003年に川崎医科大学を卒業後、吉岡秀人医師(現・ジャパンハート最高顧問)と結婚。04年にジャパンハートの国際医師長期ボランティアに参加。帰国後、岡山県で勤務医をしながらジャパンハートの医療活動に定期的に関わる。11年、東日本大震災の医療支援をきっかけにジャパンハートに入職。17年から現職

―― 「2日間限りのクラウドファンディング」という手法も話題に。SNS上では、「#マスクを医療従事者に」というハッシュタグが拡散されていました。

吉岡 こだわったのは「早さ」です。ゴールデンウイーク明けにはマスクの流通が整う見込みだという情報はつかんでいましたので、補うべきはそれまでの期間。とにかく最短でなるべく多くの医療機関にマスクを届けることが最重要と考え、寄付の募集期間をあえて2日間に限定しました。

 資金集めは私たちだけの力では限界があるので、若手起業家や著名人の方々の力も借りてクラウドファンディングの形式にしました。結果、1万4605人もの方々が寄付をしてくださって、2日間で1億5000万円を超える金額が集まりました。その後もチャリティーオークションを追加で実施して、200万枚のマスクを約720の施設に届けることができました。

―― 早さにこだわり、そこまでの行動を起こせた理由は何だったのでしょうか? 

吉岡 東日本大震災の経験からの反省が大きいですね。