1980年のデビュー以来、女優、タレントとしてマルチに活躍する宮崎美子さん。持ち前の知性と好奇心からクイズ番組でも実力を発揮し、知性派タレントとして引っ張りだこになるなど幅広い世代から人気を集めています。60代になった今も輝き続ける宮崎さんに、それぞれの年代の時に感じた思いや仕事でのターニングポイントについて語ってもらいました。

(1)70歳でもビキニで撮影できる自分でいたい
(2)「遅いよね…」女優と名乗る覚悟ができた42歳 ←今回はココ
(3)70代でやりたい役は「戦うおばあちゃん」

デビュー時は芸能界で生きていくつもりはなかった

編集部(以下、略) 芸能生活40周年を超えた今でも第一線で走り続けていますが、デビューしたての20代の頃を振り返ってみていかがですか。

宮崎美子さん(以下、宮崎) 大学4年生の時、テレビCMをきっかけにTBSのポーラテレビ小説『元気です!』への出演オファーが来て、思いがけず女優デビューしました。あの時は、ドラマに出演する機会なんて一生に一度しかないと思って、本当に軽い気持ちでチャレンジしましたね。

 当初はドラマを撮り終えたら地元の熊本に帰ろうと思っていたので、芸能プロダクションには所属していませんでした。マネージャーさんなど身近に頼る人がいない中で、演技の仕事も東京での一人暮らしも初めてだったので相当苦労しましたよ。当時はコンビニエンスストアみたいな便利なお店がなくてね。毎日の食事や公共料金の支払いもいちいち大変だった記憶があります。

―― 熊本大学の法学部に通われていたんですよね。

宮崎 はい。法律を勉強しておけば将来何かの役に立つかなぁというぐらいの気持ちで、法学部を選びました。大学卒業後は公務員試験を受けて、そちらの道に進もうかなと漠然と考えていたところ、突如芸能界への扉が開いて。公務員とは全く違う世界にもかかわらず、思い切って飛び込もうと思えたのは、自分がまだ若かったのと好奇心が強い性格だからかもしれません。それにもしチャレンジして失敗しても、20代の初めならまだやり直しがきくと思ったのも事実です。

「『こうなりたい』という明確な目標に向かってやってきたわけではないんです。まだ自分が知らない楽しさがあるかもしれない、と思うから、いろいろなことに挑戦した結果が今です」
「『こうなりたい』という明確な目標に向かってやってきたわけではないんです。まだ自分が知らない楽しさがあるかもしれない、と思うから、いろいろなことに挑戦した結果が今です」

―― その時はまだずっと芸能界で生きていくと決めてはいなかった?

宮崎 そうなんです。ドラマ出演も学生時代のいい思い出になればいいなあという感じで。でも、ある日、TBSの面接を受けに来た大学生たちがフロアにズラーっと並んでいるのを見かけた時に「あぁ、私も本当だったら面接を受けている時期だったんだな」とドキっとしたんです。多くの就活生が頑張っている姿を見て、「私、ここにいて大丈夫なのかな」ってものすごく焦りました。

 大学の同級生も立派な会社に就職をして羨ましかったです。きっと皆は年を重ねるごとに仕事の手応えを得て、収入も地位も着実にステップアップしていくんだろうなぁと。それに比べて、私はこの世界でずっとやっていけるかどうかも分からないし、その保証もない……。20代はそうした不安や葛藤を抱えながらも、目の前に来る仕事をただひたすらに取り組んでいた気がします。