99歳の生涯を閉じるまで、現役作家であり続けた瀬戸内寂聴さんとその晩年を、誰よりも近くで見つめてきた秘書の瀬尾まなほさん。エッセーの執筆なども手掛けるようになった瀬尾さんに、寂聴さんとの出会いから共に過ごした11年間を振り返ってもらいました。66歳差の2人はお互いをどう思い合い、信頼を深めていったのでしょうか。

(上)死ぬまで現役作家であり続けた99歳瀬戸内寂聴の生涯
(下)寂聴さんと過ごした11年 66歳差の絆が生まれた理由 ←今回はココ

就職につまずき、友人の紹介で受けた面接

編集部(以下、略) そもそも、瀬尾さんが寂聴さんの寺院「寂庵(じゃくあん)」に就職したのは、どんないきさつからですか?

瀬尾 私は就職活動でつまずき、大学卒業までにとにかく働き口を探さなければというときに、京都のお茶屋さんでアルバイトをしていた友人から、瀬戸内寂聴さんが人を募集していると紹介されたのです。当時はお名前と尼さんであることだけは知っていたのですが、作家だということを知りませんでした。テレビでも見たことがなかったですし、本も読んだことがなかった。

 でも、それが良かったのかもしれません。作家志望の人は今までもたくさんいたけれど、今回は事務の仕事をしてくれる人を探していたので、「あなたの作品が好きで応募しました」と言われたら、その時点で断るつもりだったと後に言われました。

 会う前は怖そうという印象があって緊張していたのですが、会ったとたんに世間話のようにいろいろ質問してくれて。若い子の間では何がはやっているのとか、彼氏がいるのとか、全く仕事に関係ない話で終わり、その場で「来月からおいで」と言われたのです。

 今思うと、それが先生の特技といいますか、相手の立場に降りてきてくれて、目線を一緒にして心地よくしゃべれるような空気をつくってくれていたのだなと思います。

2021年11月、99歳で亡くなった作家・瀬戸内寂聴さん(左)と秘書の瀬尾まなほさん
2021年11月、99歳で亡くなった作家・瀬戸内寂聴さん(左)と秘書の瀬尾まなほさん

ベテランスタッフが全員一度に退職

―― 寂庵ではどんな仕事をしていたのですか?

瀬尾 就職して最初はパソコンの入力や本の在庫管理などをしていましたが、3年目にベテランのスタッフの方が全員辞めることになって、私一人が残ったのです。