2021年11月に99年の生涯を閉じるまで、現役作家であり続けた瀬戸内寂聴さん。22年5月27日にはドキュメンタリー映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』も公開されました。その晩年を、誰よりも近くで見つめてきた秘書の瀬尾まなほさんに、共に過ごした11年間を振り返り、今の心境とともに寂聴さんの最期の日々を聞きました。

(上)死ぬまで現役作家であり続けた 瀬戸内寂聴99年の生涯 ←今回はココ
(下)寂聴さんと過ごした11年 66歳差の絆が生まれた理由

当たり前のように100歳を迎えられると思っていた

編集部(以下、略) 寂聴さんが生きていたら100歳の誕生日を迎えていたところですね。新型コロナウイルスの感染拡大で毎月の法話もなかなか再開できなかったと思いますが、亡くなるまではどのようなご様子でしたか。

瀬尾まなほさん(以下、瀬尾) 秋に入院して、一度退院できたのですが、また心不全で再入院して。私はほぼ毎日、病院に行っていたので容体が急変するまではよく話をしていましたし、当たり前のように100歳の誕生日が迎えられると思っていました。だから「お正月は迎えられない可能性が高い」と医師に言われたときはすごく衝撃で。もう寂庵(じゃくあん)に戻って来ないとは思えませんでした。

 亡くなった直後はやらなくてはいけないことが多くて。悲しむひまがなかったというのが率直なところです。天台宗で僧侶としての本葬もありましたし、その後も私自身は2人目の子供の出産でバタバタしていたこともあり、目の前の仕事をこなすことに必死でした。周りの人から「半年後に悲しみが来るよ」と言われたのですが、それが今、分かりました。本当に会いたい気持ちが募っています。

作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(右)と秘書の瀬尾まなほさん
作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(右)と秘書の瀬尾まなほさん

―― 亡くなる直前まで現役作家として執筆を続けていましたね。

瀬尾 月に5本の連載を持っていました。先生はカレンダーが全く頭に入っていなくて、締め切りにはいつもハラハラしていましたね。私が言うのもおこがましいのですが、やはりギリギリにならないとエンジンがかからないので。それでもたいていは締め切りに間に合っていました。生涯現役の作家として連載を持っているということが誇りであり、本人を支えていた部分があるかなと思います。