75歳以上は自らの生死を選択できる――。もし、高齢者が国の支援制度によって「安らかな死」を選べるとしたら、当事者や社会はどう受け止めるのか。究極の問いを投げかける衝撃の映画『PLAN 75』が、2022年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品され、新人監督に贈られるカメラドールの特別表彰を受けました。監督・脚本を務めた早川千絵さんが長編映画の監督デビューをしたのは、40歳を過ぎてから。(下)では、早川さんがこれまでどんなキャリアを歩んできたのかを聞きました。

(上)長生きするのは罪か?75歳以上が自ら生死を選べる社会
(下)早川千絵 育児、会社勤め…回り道して40代で映画監督 ←今回はココ

人生でつらいのは、失敗ではなく「何もしない」こと

編集部(以下、略) 『PLAN 75』の企画段階の時は、一般企業で業務委託として働いていたと聞いて驚きました。映画監督一本で行こうと決めたのは、いつ頃ですか。

早川千絵さん(以下、早川) 今から約3年前、42歳の時ですね。子育てが始まってから10年ぐらいは映画作りに携わることができず、映画とは関係ないデスクワークをしていました。映画監督としてのデビューはかなり遅いほうだと思います。

 でも、もし若い時にデビューしていたらつぶれていたかもしれませんし、『PLAN 75』のような映画は撮れなかったかもしれません。この年齢だからこそ、気づけることやできていることがあるので、回り道して本当によかったなと思いますね。

 ただ、今でこそそう思えるようになりましたが、出産した後の20代後半から30代前半の頃は、一番焦りが強くて、精神的につらかったです。周りは次々と監督デビューしていくのに、自分はぜんぜん映画が作れていない。私だけ取り残されていくような気がして、悶々(もんもん)としていました。

 20~30代って、映画の仕事に限らず、自分の仕事やキャリアがどんどん広がって楽しくなっていく時期なので、余計に閉ざされた気持ちになって。「ああ、私は人生の最期に、映画が撮れなかったなって死んでいくのか……」と想像したら、恐ろしくなりました。人生において最もつらいのは、失敗することじゃない。「何もやらないこと」なんだって、思いました。

早川千絵(はやかわ・ちえ)
早川千絵(はやかわ・ちえ)
1976年生まれ。ニューヨークの美術大学School of Visual Artsで写真を専攻し、独学で映像作品を製作。短編『ナイアガラ』が2014年カンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門入選。22年『PLAN 75』の監督・脚本を手がけ長編映画デビュー。同作はカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品され、新人監督に贈られるカメラドールの特別表彰を受けた

―― そもそも、映画監督になろうと思ったきっかけは?

早川 最初に映画にひかれたのは、小学生の頃です。地域の子ども会で映画の上映会があって、その時に見た『泥の河』(小栗康平監督)という作品が心にすごく響いたんです。