働きながら映画学校で学び始めた30代

早川 そうなんです。帰国後は、子育てをしながらフルタイムで働き始めまして。でも、どうしても映画が作りたくて、夜間に通える映画学校で学び始めたのが、36歳の時。そこで脚本から撮影、編集まで映画製作の技術をみっちり学びました。卒業制作で撮った『ナイアガラ』という作品が、カンヌ国際映画祭のシネフォンダシオン部門にノミネートされたのを機に、映画監督としての道が少しずつ開けていって。

 2018年に、是枝裕和監督が総合監修した『十年 Ten Years Japan』というオムニバス映画の一遍として、短編の『PLAN 75』が公開された後に、業務委託の仕事を辞めました。

「世の中には、主人公のミチのように頑張っている人がたくさんいる気がします。『もうそんなに頑張らなくていい、もっと周りに助けを求めてほしい』と心から思います。今の社会が『助けて』と言えなくさせているのかもしれません」
「世の中には、主人公のミチのように頑張っている人がたくさんいる気がします。『もうそんなに頑張らなくていい、もっと周りに助けを求めてほしい』と心から思います。今の社会が『助けて』と言えなくさせているのかもしれません」

―― 帰国して映画学校に通い始めたのが、早川さんにとっての本当のスタートラインだったんですね。

早川 そうだと思います。当時はまだ子どもも小さくて、会にも映画学校にも行っていたので目まぐるしい忙しさでしたが、「こんなに幸せなことはないな」と思えるぐらい、充実していました。心が生き生きするにつれ、体もどんどん元気になりましたね。

 実は20代の時にも、1週間だけ日本の映画学校に通ったことがあったんです。夏休みに米国から帰国した際に学びに行ったんですけど、当時は私も若かったせいか、自意識が強くて、皆と一緒に映画を撮る作業が苦痛で仕方ありませんでした。

 「なんで映画学校に来てるのに、映画を見てないの?」と周りの生徒にイライラしたり。機材を雑に取り扱っているのを見ると、「もう人と一緒にやるのは無理だ!」と不満が爆発したり……。