2007年にポーラ・オルビスホールディングスの社内ベンチャー第1号として設立された、ディセンシア(DECENCIA、東京・品川)。敏感肌に特化した化粧品ブランドとして急成長を遂げていますが、その躍進を設立当初から支えてきたのが18年に社長に就任した山下慶子さんです。生え抜きでも中途社員でもなく、派遣社員から社長に上りつめたという山下さん。今回は、社長就任の舞台裏や、山下さんならではの経営のあり方、思いについて語ってもらいました。
(上)山下慶子 派遣から社長になった舞台裏
(下)社長に向いてない私だからできること ←今回はココ
「社長やってよ」。運命の辞令は突然に
―― 2018年の1月に社長に就任しましたが、辞令を受けたときはどんな状況だったのでしょうか?
山下慶子さん(以下、敬称略) 前年の11月に銀座にある、ポーラ・オルビスホールディングス本社に呼ばれまして。社長室に来るよう促されたのでドキドキしながら向かったんです。社長(鈴木郷史氏)とはそれまで挨拶を交わす程度だったので、対面でじっくりと話すのはそのときが初めてでした。
「会社にとって大事なものは何だと思う?」と聞かれたので、「人だと思います」と答えると、「そうだよね。じゃあ社長やってよ」と。笑みを浮かべながら、いきなりそう告げられたんです。
「鈴木社長、ご存じかどうか分からないですけど、私は派遣社員としてこの会社に入ったんですよ。大丈夫ですか?」と念のため確認すると、「そんなの関係ないよ(笑)。ブランドが大事だからこそ、ブランドをよく知っている人が社長をやるべきだと思っている。会社の器は社長の器が決めるのだから、頑張りなさい」と背中を押されたんですね。
そのときは「はぁ……そうですね。頑張ります」と答えるのが精いっぱいでしたが、その言葉は今でも心に深く刺さっていて、折に触れ思い出します。
―― 社長になるという予感はありましたか?
山下 そうですね。予感はなくはなかったです。取締役になっていたので、これから先あり得なくもないなと思っていました。でも、「社長だけは絶対無理!」と思っていたので、いかに阻止するか? 裏工作もいろいろと考えました(笑)。でも、最終的に社長の辞令が下りることになりました。
―― それほど頑なに拒否していたのはなぜですか?