産後うつになりかけ、クリニックに駆け込む

 朝、夜の情報番組、昼のワイドショー……。「いろいろな人たちとチーム一体となって番組をつくるのが面白くて、それ以外の仕事は考えられなかった」と振り返る。局アナではなくフリーアナウンサーとしてさまざまな仕事に出合い、20代と30代はずっと走り続けていた。

 37歳で結婚。39歳で妊娠したとき、出産後のことは楽観的に考えていた。「妊娠する少し前まで早朝の番組にレギュラー出演していて、午後9時に寝て午前1時に起き、2時に局入り。朝6時に番組を終えて仮眠して、また午後から仕事……という生活を送っていたので、『産後は3時間おきに授乳で大変』と聞いても、細切れの睡眠には慣れているからできるだろうと思っていました」

 ところが出産後の現実は違った。「自分の中にあった母親という本能に圧倒され、母親という目線で世の中を見るようになって」。必死に子どもを守ろうとする、経験したこともない感情にも戸惑った。

 産後、絶え間ない授乳や世話が続いて眠れなくなってしまった。産後うつになる手前でかかりつけの婦人科クリニックに駆け込み、漢方薬と睡眠導入剤で何とか回復できた。

「世の働く母たちはこんなにぎりぎりの生活を送っているのか」

 出産後半年ごろから、シンポジウムの司会やインタビューなど単発の仕事を始めた。子どもが3歳のときに、夜9時からの情報番組にレギュラーで復帰すると、心身への負担の大きさに驚いた。

 朝は普通に起き、お弁当を作って子どもを幼稚園まで送り迎えをし、PTA活動も。夜、早く寝かせるために、公園で昼間に一生懸命遊ばせることもある。夕食の用意をして子どもをベビーシッターや夫に委ね、夜6時にテレビ局入り。生放送の準備をしてオンエア、反省会、家路に就くという日々を3年半続けた。

 「夫はよく協力してくれましたが、私自身は体力と気力がぎりぎり、へとへとでした。そして周囲を見れば、私のようなフリーだけではなく、組織に所属して働いている女性たちも、みんな休む間もない。世の中の働く母たちは、こんな綱渡りみたいな、ぎりぎりの生活を送っているのかと、衝撃を受けました」

 当初は自分のことでいっぱいいっぱいだったが、徐々に「女性にもう少し余裕があって、子どもに向き合えて仕事もできる。そういう生活ができている国もあるのに、こんな状態を強いている日本っておかしいんじゃないか。そんな疑問を抱くようになりました」。