45歳で離婚して専業主婦を“卒業”し、思い切って米国に留学。50代で京都と東京にニューイングランド地方の伝統焼き菓子のお店を開き、60代ではニューヨーク進出にもチャレンジ。ニューヨーク店は2年で撤退するも、一回り以上年下の米国人男性と出会って再婚。今は、東京とニューヨークで2拠点生活を送る平野顕子さん。看板メニューのアップルパイは、食のセレクトショップ「DEAN & DELUCA」でも長年不動の人気を誇る味。今回は、平野さんに人生を味わい尽くす秘訣を聞いた。

(上)45歳で離婚→留学「強烈な孤独」を味わった後に起業 ←今回はココ
(下)まさかの再婚!60代後半で年下の夫と新しい世界に挑戦

「昭和の女性らしく生きる」と自分を抑圧していた

 「23歳で結婚して、45歳で離婚するまでが私の人生のファーストステージだとしたら、セカンドステージは、47歳で米国留学したときに幕が上がりました」

 京都の能装束織元の家に生まれた平野さん。不自由なく育ち、母親に勧められるまま23歳で歯科医と結婚。専業主婦として家事に専念し、娘と息子を育て上げた。当時の自分を「『自分を持っている』とは程遠い状態で、主体性はありませんでしたね」と振り返る。

 「時代的に、女性は早くに結婚して家事と育児に専念するのが『正解』とされ、小さい頃からそうして生きていくのが幸せなんだ、と刷り込まれていました。自分らしさを表現する余地はなく、昭和の女性らしく生きていかなくちゃいけない、と自分で自分を抑圧していた気もします。

 元夫は、歯科医としてはとても優秀で尊敬できる人でしたが、結婚当初から性格や考え方で相いれない部分が多かったこともあり、息子が大学に進学した年に離婚。母親としての役割を果たしたのでは、と思った頃から、フツフツと自分らしさが湧き上がってきて。人に倣う生き方はしたくないな、と……。実家に戻ったら『出戻り』と言われて家族に迷惑をかけると思ったので、一人暮らしをしていた娘のアパートに転がり込みました」

「松之助」オーナー 平野顕子さん
「松之助」オーナー 平野顕子さん
結婚、出産、離婚を経て、コネティカット州立大学に留学。17世紀から伝わるニューイングランド地方の伝統的なお菓子作りを学び、帰国後に京都と東京にアップルパイとアメリカンベーキングの専門店をオープン。60代で米国人と再婚。「60歳からは年を数えないと決めています」

 それまで働いたこともなければ、お金の苦労もしたこともなく、離婚後の生活についてもノープランだった。悠長に「なんとかなるでしょ」と長女に言ったら、「世間知らずもいいとこ。お母さん、バカね」とぴしゃり。そこで初めて、40代で社会人経験がない女性ができる仕事は少なく、いきなり正社員になる選択肢はあまりない現実を知った。