日本初の女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」が誕生し、2021年9月に開幕しました。初代チェア(代表理事)を務める岡島喜久子さんは、外資系金融機関で長年活躍してきた異色の存在です。日本女子代表のサッカーチームがなかった時代に選手として国際試合に参加、1979年の日本女子サッカー連盟の設立に奔走した経験を持っています。初代チェアの重責を担う岡島さんに、キャリアの壁の乗り越え方を聞きました。
(上)WEリーグ岡島喜久子「壁は越えずに迂回するのも一手」 ←今回はココ
(下)外資→WEリーグへ 自己肯定感の低い人こそリーダーに
女子代表チームは日の丸を胸に付けられなかった
編集部(以下、略) 女子プロサッカーリーグ「WEリーグ(Women Empowerment League)」の初代チェア就任の打診があったとき、岡島さんは米国在住、メリルリンチ(現バンク・オブ・アメリカ)のバイスプレジデントとしてのキャリアを終えたところでした。就任に迷いはありませんでしたか?
岡島喜久子さん(以下、岡島) それが、夫に相談することもなく、すぐに「やります」とお答えしたんです。日本には、ビジネス界で成功している女性がたくさんいらっしゃいます。そういう方々のうち、サッカー好きの方はいるかもしれませんが、プレーヤーだった人はまずいません。一方、女子サッカー選手のOGでビジネス界での経験を積んでいる人も多くはありません。私には両方の経験がある。なので、「岡島さんしかいない」とお話をいただいたときに、迷いはありませんでした。
岡島 私は中学のときに男子サッカー部に入部し、サッカーを始めました。早稲田大学在学中の1977年には、台湾で行われた国際試合(第2回AFC女子選手権、現在の女子アジアカップ)に初めて参加。他の参加国はみな代表チームでしたが、当時の日本サッカー協会は女子チームの登録を認めていなかったので、私たちは日本代表でありながら、胸に国旗を付けることができませんでした。
日本女子代表チームの必要性を痛感し、帰国後に日本サッカー協会に交渉。当時の折井孝男監督にアドバイスしてもらいながら、まず日本女子サッカー連盟の設立に動きました。連盟がないと協会に登録させてもらえないからです。1979年に日本女子サッカー連盟ができ、私は大学生でしたが初代理事に就任したのです。
そんな背景があって日本の女子サッカーをもっと前へと進めていかなきゃという気持ちはすごく強かったのです。