バブルがはじけると予見して決めた結婚

―― 初めての海外勤務はシンガポールで、その後、米国に渡っています。この経緯について教えてください。

岡島 それもすごく個人的な理由です。ケミカルバンク勤務時代から付き合っていた今の夫が、当時マレーシアに駐在していました。東京とマレーシアって、飛行機で7時間かかるんです。だいたい中間地点の香港でデートしていたのですが、もうちょっと近いところがいいと、シンガポールに子会社があったので、シンガポール勤務を希望して行かせてもらったのです。

 米国に行ったのは結婚退社によるものです。ちょうどその頃、1989年の終わりが日本株のピークでした。私はアナリストをやっていたので、これから先10年は日本株はダメだという確信があったのです。それで、結婚するなら今だと思って結婚したのです。もし日本株が上昇していたら、結婚のタイミングを逃していたかもしれません(笑)。

 当時の証券会社では部下が辞めると上司にバツが付いてしまうのですが、例外が寿退社だったんです。なので、上司に迷惑をかけることもない。もうパッと結婚して夫と米国に行きました。

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取材・文/中城邦子 構成/市川礼子(日経xwoman ARIA) 写真/斎藤順子