自分の「売り」「やりたいこと」を戦略的に考えた

―― 就職先に外資系金融機関を選択した理由はなんだったんですか。

岡島 就職してもサッカーを続けたい気持ちがあったのですが、当時日本では週休2日制の企業が少なく、金融機関も土曜は半日勤務がありました。ですが、米国の銀行であれば、土曜も休み。サッカーを続けるために外資系の金融機関を中心に就職活動をしました。

 大学時代に米国に留学していたので英語ができたこともあり、いくつか内定をもらってケミカルバンク(現JPモルガン・チェース銀行)に就職。「サッカーを続けるため」という、志望動機は少し不純だったのですが、入社してみたら、金融機関がすごく肌に合っていて。38年間ずっと金融機関で働いてきました。

自分のキャリアを振り返る岡島さん。目の前に壁が現れたら乗り越えるのではなく、方向転換するという戦略を取ってきた。「これまでの後悔は?」と聞いたときの反応が非常に印象的だった
自分のキャリアを振り返る岡島さん。目の前に壁が現れたら乗り越えるのではなく、方向転換するという戦略を取ってきた。「これまでの後悔は?」と聞いたときの反応が非常に印象的だった

―― 岡島さんが就職したのは、男女雇用機会均等法(1985年制定)の誕生前。女性の就職は“結婚までの腰掛け”と見られることも多かった時代に、かなり戦略的に就活に挑んでいたんですね。

岡島 サッカーのためですけどね(笑)。ですが、最も戦略的にキャリアを考えたのは、実は30代で国際証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)に転職したときなんです。ケミカルバンクではアナリストを3~4年していたのですが、営業部に行きたいと希望を出したら、お客様が日本の商社、生命保険会社、銀行が中心だったので、女性は営業に出せないと。それなら、女性でも営業ができる別の職種を考えようと、他の金融機関を考えました。

 為替や債券よりも、株なら銘柄も多いし、将来的に自分の資産運用にも知識が役立つだろうと、転職先を証券会社に絞り込みました。

 業界トップの証券会社だと優秀な男性がいくらでも来ます。女性で英語ができて、アナリストのバックグラウンドを最も効果的に使えるとしたら、準大手だろうと考え、あえて国際証券を選んだのです。それが見事にはまりました。

 国際証券は私の特性を考えてくれ、外国法人部で欧州・米国の機関投資家、ファンドマネジャーと対面する仕事に就けたのです。決まれば取扱額が大きいので、どの証券会社もファンドマネジャーと直接会って営業をしたい。アポイントが取れるのは1カ月、2カ月先になることも普通だったのですが、「日本の証券会社から女性の営業が来るのは珍しいから」と、私は数日で会ってもらえました。

 会ってみると英語ができて、財務諸表が読める。そして日本の大手証券会社の営業は、上から下りてくる情報のままに推奨しがちですが、私は自社が推す銘柄以外についても自分で調査をして、自分の意見を英語で説明できた。その点をとても喜んでもらえて、良い営業成績を上げることができました。