「フライングタイガーコペンハーゲン」を運営するZebra Japan。2019年夏に代表取締役になったのが松山恭子さんです。新卒で入社した外資系証券会社を退職し、国内でMBAを取って転職。その後、外資系や国内企業を渡り歩きキャリアアップしていきました。事業立ち上げの失敗や想定外の出来事を乗り越えた経験も数々。下編はファーストリテイリングなど国内企業数社を経て、Zebra Japanの社長になるまでの経験を聞きました。

(上)「フライングタイガー」社長、学び直しの経験が力に
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ユニクロ社長との気が抜けないやりとりに鍛えられる

松山恭子さん(以下、敬称略) ファーストリテイリングには幹部候補という形で採用してもらったものの、最初は役職はなく、「ユニクロ」のプロモーションのチームに入りました。

 それまでにいた外資系の企業では個人のパフォーマンスを求められるので、自分の仕事をいかによくしていくか、早く進めていくか、ということを重視していました。それが自分がその会社に居続けられるかを左右することにもなるので。一方、ユニクロは「組織として戦う」ということを強く感じられた会社でしたね。

 今でこそ働き方改革が進みましたが、当時はCMを1つ作るのも夜中まで延々と撮影用の商品サンプルを集めたり、クリエーティブディレクターと電話で話し込んだりする日々でした。そして、結局どんなに頭で考えても、仮説を持ったら先にアクションをしてしまったほうが早いということを学びました。どんなに考えて実行に移しても結局失敗することはあるので、そうであれば早く失敗してしまったほうがいいな、と。

 マネジャーになってからはプレッシャーに心が折れそうなこともありましたよ。週末のキャンペーンの売り上げが目標に達しなかったことが月曜に分かり落ち込んでも、「今週はどうする?」と切り替えて。1年52週、常に気が抜けない状態でした。マーケティングを重要視する会社なので、広告の小さな販促物1つまで社長に見せにいっていましたね。「なぜこうするの?」とあらゆる方向から質問されるので言葉に詰まり、「出直します」となることもしょっちゅうありましたが、鍛えられました。

「ユニクロ時代は1年52週、常に気が抜けないという状態でした」
「ユニクロ時代は1年52週、常に気が抜けないという状態でした」

―― ファーストリテイリングの次はどこの会社に行ったのですか。

松山 ファーストリテイリングに5年いて、その後、リヴァンプで事業再生の仕事をすることになりました。「SONOKO」という鈴木その子さんの化粧品会社の建て直しを担当。カリスマ創業者がいなくなり事業が停滞するのはよくある話なのですが、SONOKOの場合は国内市場以外の事業拡大を求めて、中国市場に打って出ようということになっていました。