社会構造の変化は既に長い時間をかけて起きていた

柴山 やはり、コロナによって自分たちがそれまで当たり前だと思っていたもの、頼ってきたものが、実は決して安定したものではなく、当たり前でもないという感覚を恐らく多くの人が抱いたからではないかと思います。私自身も、例えば集まってミーティングをすることは当たり前ではなかったとか、人と会える、友達と会えることは素晴らしいことなんだと気が付きました。豊かな老後への備えをしていくことについても、国や社会、あるいは企業に頼るということではなく、やはり一度自分で考えなくてはと、意識が少しシフトしたところがあるのではないでしょうか。

 コロナによって社会の何かが根本的に変わったわけではなく、変わったのは「人の意識」。今まで目を向けていなかったことにも、目を向けるようになったということです。

 そもそも日本社会、日本経済においては、コロナの前から10年、20年をかけて構造的な変化が起きていました。かつての日本型終身雇用のモデルでは、豊かな老後に向けての最大の備えは、会社員として定年まで勤め上げることでした。そうすれば退職金も年金ももらえて、いわば会社と国が老後の面倒を見てくれた。そういう時代が長く続いてきました。

 しかし、終身雇用が終焉(しゅうえん)することで退職金に頼れなくなったり、少子高齢化に歯止めがかからない中で、将来の年金に対する不安を持ったりする人が増えてきました。老後2000万円問題の報告書というのはまさに、「過去の終身雇用を前提とするような仕組みはもう今は持続可能ではないので、一人ひとりが働きながら資産運用することが大切な時代になりました」という内容だったんです。でもそれは決してあの瞬間に起きたことではないですし、ずっと前から気づいていた方もいらっしゃったと思うんです。