「こうなりたい」と思う女性の生き方がなかった

木皿 私は組織の暗黙のルールみたいなものが苦手で、「何で? おかしいじゃない?」と思ってしまって、受け入れられないんです。

 当時はひどいセクハラが横行していました。職場やエレベーターの中で、男性社員が女性社員の胸を触ったりすることも日常でしたからね。

―― (絶句)。少し前までは女性蔑視が当たり前の時代だったんですよね……。与えられる仕事も補助的な業務にとどまり、年ごろになったら結婚して寿退社、が既定路線。

木皿 私が「こうなりたい」と思うロールモデルがいなかったんです。会社の先輩たちを見てもやらされている感がすごくて、楽しそうではありませんでした。働き続けている女性社員は、便利に使われている人か、かわいくて愛される人か、二つに一つ。複雑な勘定科目の仕訳をすごい速さでこなしていく先輩をかっこいいとも思ったけれど、そういうことを誰も評価するわけじゃないし、むしろできる女性は社内でどんどん怖い存在として扱われていきました。

 かといって、結婚するのも違う感じがしました。専業主婦の母親は結婚しろと言うけれど、自分自身は全然幸せそうじゃないんですよ。父親としょっちゅうけんかしていたし、私に愚痴ばっかり聞かせるし。結婚している友達もそうです。だから、結婚するのが当たり前だとみんな思っているけど、実際は愚痴ばっかりってどういうこと? と混乱していました。女の人は当然結婚するものという価値観があるから、どうしたって無理して結婚する人も出てくるわけですよね。

 「好きなことをやって生きていくなんてろくでもない」という親世代の価値観の影響を受けてきて、「結局私も結婚するしかないのかな」と思う一方で、「自分がなりたい自分」として生きていけないだろうかという気持ちもどこかにあって。脚本家になりたいというより、そちらのほうが強かったのかもしれません。