日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん(コロナ禍で日豪の行き来が難しくなり、ひとり日本にとどまって家族と会えない生活はもう1年半以上に…)。子育ても終盤にさしかかり、「これまでとは違う新たな一歩」を踏み出しつつある小島さんが、新たな気付きや挑戦を語っていきます。今回のARIAな一歩は、「沼落ち」。

 前回は、自分がマジョリティーの立場にある時と、マイノリティーの立場にある時では言葉に対する感受性が異なるという話を書いた(「小島慶子 『分かります』よりも、相手を思う言葉がある」)。立場が変わると視点も変わる。今回は、視点を変えると、人生に起きるはずのなかったことが起きるという話を書こうと思う。

アイドルという仕事の尊さを知ったスタジアムライブ

 私はこれまで、いわゆる芸能人のファンになったことがなかった。アイドルグループ好きの友人はたくさんいたが、ファン心理というものがよく分からなかったし、あまり興味を引かれなかった。とは言え、かつて仕事で数年間、稲垣吾郎さんとご一緒した際に、国民的アイドルはもはや何百万規模の人々の幸福を安定供給し続けるインフラであると知った(当時、番組にゲスト出演した作家の朝井リョウさんは「電気、水道、ガス、SMAP」という名言でそれを表した)。3世代にもわたるファンたちの「幸福の資源」として生きるというとてつもない重責だ。

 ライブを見に行って、それを肌で感じた。スタジアムいっぱいの、目をキラキラさせて笑っている人たち。みんな、普段の暮らしでは不安だったり落ち込んだり泣いたり、色々しんどいこともあるだろう。でも大好きなアイドルといる時間だけは、こんなにも無防備な喜びに浸れるのだ。尊いものを見た気がした。

 以来、私はアイドルという仕事を尊敬するようになった。アイドルに心を開いて夢中になる人の姿も、いいものだと思うようになった。実はそれまでは、アイドルだろうとアニメだろうと何かのファンになるということは、自分の一方的な幻想を対象に重ねる、あまり洗練されていない行為だという強い偏見を持っていたのだ。だから、あのスタジアムの笑顔と熱狂の中を走り回る稲垣さんたちの背中を見て覚えた感動は、忘れられない。

 それでも、自身がいわゆるファンコミュニティに身を投じることはなかった。稲垣さんのことは今でも尊敬しているが、当時は共演者に一ファンとして接するのは仕事上望ましくないという自制心もあり、「きゃー吾郎さん!」というような素直なファン心理とは、あえてかなり距離を置いていたのだ。

 それからしばし時が流れ、私は年齢を重ねて、今や30歳未満の人がすべて娘や息子のように見えるようになった。私生活でも、ときめきという脳の回路は長年使われなかったために完全に退化し、恋愛ドラマにも全く興味がなくなった。だからBTSが世界規模の人気になってからも「へえー、アイドルって顔の見分けがつかないわな」などと言って私の脳は彼らをスルーし続けた。あのスピーチを見るまでは。

秋晴れの下の撮影。以前は当たり前だったワイワイ楽しい現場も今はなるべく静かに。早くお互いに気兼ねなくおしゃべりしながら一緒に仕事したいねと話しました
秋晴れの下の撮影。以前は当たり前だったワイワイ楽しい現場も今はなるべく静かに。早くお互いに気兼ねなくおしゃべりしながら一緒に仕事したいねと話しました