日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん。子育ても終盤にさしかかり、「これまでとは違う新たな一歩」を踏み出しつつある小島さんが、新たな気付きや挑戦を語っていきます。今回のARIAな一歩は、「父の最期の教え」

 この1年ほど、死をリアルに想定することが多かった。1月半ばからオーストラリアの家族と離れ離れで、東京での一人暮らしが続いている。万が一新型コロナウイルスに感染しても看病してくれる人はいないし、親戚にも頼れない。入院してそのままになることもあるかもしれないなと思う。48歳だもの。

病室で二人きり、見届けた父の最期

 一昨年に他界した父の最期の瞬間を見届けたのは、家族で私だけだ。たまたま病室に二人きりの時だった。自宅で倒れて意識不明のまま4日間、失われていく脳の機能とともに父の生命の摂理は乱れ、体温や心拍数を正常な状態に維持することが難しくなった。延命治療を望んでいなかった父は、最後まで全速力で走るように命を使い切って、静かに息を引き取った。

 その瞬間、私はただただ、父を安心させようとだけ考えていた。死ぬのは初めてだから、きっと不安なはずだ。でも大丈夫。私も死んだことがないから分からないけど、でもこっちにもあっちにもパパのことを見ている人がいるから、ひょいと渡るときだけ、ちょっと怖いかもしれないけど、ちゃんと向こうの家族……パパの両親……にお渡しするから安心してね。初めてのことでびっくりだよね、でも大丈夫だよ。そう話しかけながら、感謝といたわりを伝え、数値がゼロになるのを見届けた。新しいことに挑戦する子どもを励ますみたいな気持ちだった。

 父は、命を燃やし切ってこちらからあちらへ渡っていった。先に水たまりを飛んで見せるみたいに、その様子を見事に示してくれた。私は、命が体を離れるのはそう簡単なことではないと知ったと同時に、精いっぱい生き切った父を誇らしく思った。そして、父が越えて行ったのだから、自分にも越えられるはずだ、と思った。死が日常の中に降りてきた