日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん。子育ても終盤にさしかかり、「これまでとは違う一歩」を踏み出しつつある小島さんが、新たな気づきや挑戦を語っていきます。今回のARIAな一歩は、「自己犠牲」。

 「生きる上で、最大の幸せってなんだと思う?」と聞かれたら、あなたはなんと答えるだろうか。

 先日、友人と食事をしている時に不意にそう聞かれた。「……そうだなあ、息子たちが、ああ生きるのは楽しいな、生きててよかったなと思えることかなあ」と答えた。私にもそんな瞬間があったからだ。

 人生にはいろいろなことが起きる。自分ではどうしようもないことがたくさんある。でも、小さな喜びや気づきの数々が、私をこの世につなぎ留めてくれた。だからどうか息子たちも、生きるのはこれでなかなか悪くないぞ、面白いぞと思える出来事に、こまめに恵まれますように。私には、そう祈ることしかできないけれど。

 友人は「人生で最大の幸せは、シェアすること!」と言った。喜びを誰かと分かち合うこと、と。彼女にもいろいろなことがあって、そう気づいたのだという。うう、尊い。本当にそうだね。子育ても、まさにいろいろなものを子どもと分かち合うってことだよねとしみじみ語り合った。

 では、それがかなわなくなるのは、どんな時だろうか。生きることに感謝し、大切な人たちとささやかな喜びを分かち合う。そういう日常が送れなくなる時は。最たる例が戦争だ。もしもわが子が戦地に赴いて殺し合いをしなければならなくなったら。今世界で起きていることを考えれば、これは単なる妄想ではない。

 ここで、ある親子の話をしたいと思う。

何があっても生還すると心に決めていた10代の兵士

 太平洋戦争中、「雪風」という駆逐艦で、戦艦大和とともに戦った10代の少年たちがいた。その中に、魚雷射手として乗り込んだ西崎信夫さん(故人)もいた。天皇陛下のために死ねとたたき込まれたが、彼は「生きて戻れ」という母の言葉を胸に、何があっても生還すると心に決めていた。戦いでは、敵機の激しい攻撃を受けて負傷。目の前で3300人余りを乗せた戦艦大和が爆発炎上し、巨大な船体が二つに折れて沈むのを見た。

 しかし西崎さんが乗っていた“幸運艦”の異名を持つ「雪風」は、奇跡的に沈められることなく終戦を迎え、彼は生還した。

 敗残兵とそしりを受け、罵声を浴びながら実家に戻った息子に、母親は「生きて戻ったことは務めを立派に果たした証し。何も恥じることはない」と涙ながらに言った。その一言に救われたという。