日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん(コロナ禍で日豪の行き来が難しくなり、ひとり日本にとどまって家族と会えない生活はもう1年半以上に…)。子育ても終盤にさしかかり、「これまでとは違う新たな一歩」を踏み出しつつある小島さんが、新たな気付きや挑戦を語っていきます。今回のARIAな一歩は、「『共感』の危うさ」。

 金沢プライドウィーク2021(9月23日~25日、10月9日、10日)の前半日程に参加した。今年7月に、性的少数者のカップルを“結婚に相当する関係”として認めるパートナーシップ制度を導入した金沢市。金沢プライドウィークでは、市民と自治体、経済界が連携し、LGBTQに関するイベントやダイバーシティ・アンド・インクルージョン(多様性と包摂)をテーマにしたシンポジウムなどを開催。保守的な家族観やジェンダー規範が強いとされる北陸で、10月10日には初めてのプライドパレードが行われる。イベントの主催者や参加者からは、長い目で持続可能な取り組みをしていこうという熱気を感じた。私も連日たくさんの人と話をして、多くの気づきがあった。

あなたが思い浮かべる「普通の女性」って?

 あなたは、職場の上長などに自分の性的なパートナーについてや、男女どちらのトイレを使いたいかを話したことはあるだろうか。ほとんどの人はないだろう。私も職場で「性的なパートナーは男性です」とか「女性用のトイレを使っています」と伝えたことはない。その必要がなかったからだ。私は見るからに「普通の女性」なので、男性とセックスして女性用トイレを使うだろうと見なされる。

 だが、見るからに「普通の女性」で、女性とセックスをする人もいる。女性を生涯のパートナーとして暮らしている人もいる。見た目が「普通の女性」と違っている人もいる。職場から、女性用のトイレを使わないでほしいと言われる人もいる。見た目が「普通の女性」であることが、つらいという人もいる。女性だと決めないでほしいという人もいる。あなたが思い浮かべた「普通の女性」って、どんな人だろうか。

 ダイバーシティ・アンド・インクルージョンを重んじる社会をつくるのは大事なことだが、多様性のある社会は、手間のかかる社会でもある。「普通」が一つではなくなり、毎度いちいち確認したり、説明したりしなくてはならないことが増える。そんなめんどくさい社会なんか息苦しい、言わずとも察してくれる今のままの世の中でいい、と言う人もたくさんいる。何かを言えば言葉尻を捉えられ、いちいち理屈をこねられ、やれ差別だ偏見だと説教されるのはうんざりだ、と。弱者は「声を上げる」のが正義みたいに言うけど、単なる被害妄想ではないか。むしろ悪意なき多数派への言いがかりだ……差別が問題になると必ず聞く言葉だ。

 さて、あなたは多数派だろうか、少数派だろうか。世間の主流に属しているだろうか、傍流だろうか。あなたの悩みは「理屈っぽい」「気にしすぎ」と言われがちだろうか。誰かに悪気なく言ったことに反論されて、めんどくさいなーと思ったことは、あるだろうか。

 私は、どちらもある。