ちょっとずつ頼れる人が、いろんなところにいる幸せ

 私の経験した限りでは、男性同士が「老後は気楽な友達と同じマンションにでも住んで、助け合って暮らそうな!」と盛り上がっているのは聞いたことがない。まずもって自力で家事ができない人たちは当然そんな発想はできまい。誰かがご飯を食べさせてくれないと死んでしまうと思っているのだから。料理習えばいいと思うけどね。では家事ができる人なら、妻と別れて気楽な仲間と……と考えても良さそうなものだけど、とんと聞かないのはなぜだろう。それよりも若い女性と再婚して介護してもらうことを望むのだろうか。しかしそれだけの条件が整っている人は(魅力とか資産とか)そうはいないだろう。どうか男たちにも、愉快な老後をシェアできる仲間ができますように!

 「ついつい仕事や子育てを優先して、自分のために時間を使うことなんてないでしょう? だから私たち、あえて年に一度、人里離れた場所に旅をするの」と2人は言う。「慶子さんも一緒にどう? あなたこそ、そういう時間が必要よ。旅先ではね、基本、それぞれ好きに過ごしていいのよ。部屋で原稿書いててもいいしね。で、ご飯とか温泉とか、一緒に楽しむときはみんなで思い切りのびのびするの」おお、これぞ大人の旅! マンション一棟買いに通じる、適度な距離感ではないか。早速予定をすり合わせて、そこだけは極力仕事を入れないようカレンダーに印をつけた。

 心でつながる遠くの同志と、手の届く距離で自由に過ごす仲間と。ちょっとずつ頼れる人がいろんなところにいるのはいいものだ。当事者研究の熊谷晋一郎さんの言葉にある通り、依存先を増やすことが自立につながるのだろう。大人になるってそういうことだったのか、と今さらながら身にしみているこのごろである。

文/小島慶子