「なぜこの人と一緒にいるのか」問題

 そんな喜びに震えていた折に、尊敬する女性2人と食事をした。2人ともARIA世代で、大手企業から転職を経て幅広い活躍をしている。サスティナブルな働き方や女性のキャリア形成など、2人の話を聞いていると視野が広がり、実際にリスクをとって行動する姿に感銘を受ける。経験を重ね、挑戦を続けるってなんてすてきなんだろう。よし、私も自分の持ち場で地道に頑張ろう! と勇気が湧いてくる。

 彼女たちの1人は事実婚カップル、1人は法律婚で子育て真っ最中だ。私は今は片働きなので、共働きの2人が羨ましい。もしも自分に何かあっても収入が断たれない安心感は、失ってみれば本当に有り難いものだったと痛感する。そして残酷なことに、経済面でのパートナーではなくなると「なぜこの人と一緒にいるのか」を以前よりも本質的に掘り下げて考えるようになるのだ。

「老後は女友達とマンション一棟買いが理想よね」

 子育てというミッションが終了した後、運よく生きていたら、残された時間を誰とどのように生きるのか。自分は共に生きる人との間で何を重視するのか。尊敬? それとも優越感? 興味? 安心? 頼りがい? 相手を守りたいと思う気持ち? ……複雑に絡み合った感情の底から、どうしても譲れないものが見えてくる。最悪の場合、経済力の重しが外れて、古井戸から過去の恨みが亡霊のように出てきてしまうことだってある(日経DUAL「小島慶子 本当にあった夫婦の怖い話!我が家の場合」)。

 そんな弱音を吐いた私に、彼女たちは共働きでも同じことだと話してくれた。おそらく2人は、家のローンや子育てが終われば、パートナーの収入がなくても自分の稼ぎで暮らしていくことができる。つまり、やはり「なぜこの人と」問題が浮上するのだ。胸の内では、既に答えは明らかになっている。やっぱり老後は女友達とみんなでマンション一棟買いが理想よね、と断言するのだ。その気持ちがちょっと分かるようになってしまった私は、ふと考える。こんな話をしている3人の女たちの夫らは、誰かと同じような話をするのだろうか? と。

パースは今、春です。市内のキングス・パークという植物園で、ワイルドフラワーにはしゃぐ私。高2の長男が撮影
パースは今、春です。市内のキングス・パークという植物園で、ワイルドフラワーにはしゃぐ私。高2の長男が撮影