日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん。子育ても終盤にさしかかり、「これまでとは違う新たな一歩」を踏み出しつつある小島さんが、新たな気付きや挑戦を語っていきます。今回のARIAな一歩は、「視覚の支配」。

見た目が好きだから、別れない

 「最後は顔よ。どんなに嫌でも、顔が好きならなんとかなる」

 ある女性が出した結論だ。会うたびに夫の行状を嘆き、イヤだ、嫌いだとこぼすのに別れるつもりがないらしい。経済的には十分自立できるのになぜ別れないのかと尋ねたら、結局見た目が好きであることが夫婦のかすがいになっているという。おお、それはすごい。よほど好みでないとそうはならない。

 顔でほれた相手でも、けんかをすれば色あせて見えるし、見飽きることもある。経年変化もあろう。あれだけ腹立つとか許せないとか言いながら、熟年になってもなお「見た目が好きだ」と言えるのは、理屈抜きで目の快楽なのだ。顔の好みが、夫婦の最後の砦(とりで)というべきか。

 これは「人間は顔がすべて」という話ではないし「美形と結婚するべし」という話でもない。視覚の執着というのはかくも強いものだという話をしたいのだ。私たちは、目に振り回されている。目は最も貪欲で非情な器官で、頭の中でこねくり回したどんな理屈も吹っ飛ばすほど、支配的だ。SNSの時代になって、多くの人が他者のまなざしの息苦しさを感じているのではないだろうか。

 では、目の暴君の支配から自由な人には、世界はどう見えているのか。

オーストラリア・パースは春。ワイルドフラワーの季節です。夫が撮影
オーストラリア・パースは春。ワイルドフラワーの季節です。夫が撮影