日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん。子育ても終盤にさしかかり、「これまでとは違う一歩」を踏み出しつつある小島さんが、新たな気づきや挑戦を語っていきます。今回のARIAな一歩は、「同期との再会」。

 12年ぶりに、友達と再会した。友達というよりも戦友のほうがしっくりくるかな。TBSの同期入社の堀井美香さん。さん、はとっても違和感がある。お互いに名字で呼び捨てにしているから。ホリイとコジマの間柄だ。時々メッセージのやり取りはしていたけど、顔を合わせるのは久しぶりだった。なぜ会わなかったかというと、それぞれ忙しかったのもあるけど、お互いの環境が違い過ぎたからだ。

ロールモデル不在の中、同期3人で互いに学び合った

 会社を辞めたことのある人は分かると思うが、辞める人の気持ちは、そこで働き続ける人にはなかなか分からない。それはもう、どうしようもないことなのだ。私も組織を離れて時間がたち、会社員の考え方や肌感覚が、分からなくなっていた。

 だが私が今こうしているのも、キャリアの駆け出しの頃に堀井という良き仲間であり先達がいたからだ。それは、今も組織で働いているもう一人の同期の仲間、オガワこと小川知子さんも同じこと。私たち3人は、ロールモデルがない環境で、互いに学び合って新境地を開くことができた。それは本当に本当に、幸運なことだったと思う。

 だからこそ、会社を辞める時には誰にも相談しなかった。相談したら決断できなくなると思った。2010年当時は、女性が入社16年目にもなってから独立するのは珍しかった。女性アナウンサーの独立は、若くして人気者になったごく一部の人が華やかにフリーに転身するパターンが、その頃のお決まりだったから。今ほどフリーアナがたくさん活躍していなかったので、よほどの人気アナでなければ辞めるなんてとても無理だと思われていた。アイドルアナでも若手でもない私が独立するのは、きっと唐突で無謀な試みに見えたことだろう。

 38歳の誕生日を迎える7月から新スタートを切ると決めて、根回しゼロのまま、不義理を承知でいきなり退職届を出した。辞める理由を何度も説明するのが面倒なので送別会はすべて断り、慌ただしい門出となった。すぐに仕事が忙しくなって、新しい環境に慣れるので手いっぱい。その後は家族の拠点を海外に移したりと、バタバタの中であっという間に時が過ぎて、気づけば30代だった私は、50歳を迎えようとしている。

 そんな中でも堀井とはたまにメッセージをやり取りしていた。といっても雑談ばかりで、彼女がどんな仕事をしているのか、会社の中で何が起きているのかなどはキャッチアップできていなかった。年齢的に管理職で忙しそうなのはなんとなく分かったけど、それがどういう忙しさなのかはもう、会社を離れて久しい私には想像できなくなっていた。

堀井美香さんと、待ち合わせたパレスホテル東京のロビーで。12年間のあれこれを語り合って、あっという間の2時間。腹を抱えて笑った頃と変わらず愉快なひとときでした
堀井美香さんと、待ち合わせたパレスホテル東京のロビーで。12年間のあれこれを語り合って、あっという間の2時間。腹を抱えて笑った頃と変わらず愉快なひとときでした