日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん。子育ても終盤にさしかかり、「これまでとは違う新たな一歩」を踏み出しつつある小島さんが、新たな気付きや挑戦を語っていきます。今回のARIAな一歩は、「夫婦の思春期」。

「生きるか死ぬか」の時に語られる言葉が表すもの

 期限を決めて離婚の約束をし、子育てが終わるまでは夫婦としてこれまで通りの暮らしを続ける「エア離婚」。夫とその合意ができてから、前向きな心境になったことは既に書いた(「小島慶子 なぜ私は『エア離婚』したのか」)。

 そして迎えたコロナ危機。日本とオーストラリアに引き裂かれたまま5カ月以上が過ぎた今、夫婦の関係はまた新たなフェーズに移ろうとしている。

 コロナ離婚という話も聞く。家庭内が修羅場となった人もいるだろう。全世界が同時に未知の感染症に直面して、文字通り「生きるか死ぬか」の不測の事態をサバイブしなくちゃならなくなった。そういう時に語られる言葉は、人の本質を表す。世界のリーダーたちもそれで馬脚を現したり尊敬を集めたり、明暗が分かれた。

 夫婦も同じだ。衛生に関する認識のズレは家族の命に直結しかねない。それこそ手洗いやソーシャルディスタンシングをめぐって意見が合わず、関係が悪化したケースもあろう。政治や社会に対する意見の違いで深刻な溝を感じた夫婦もいるはずだ。ええ? この動画に共感しちゃうの? とか、ニュースを見て吐き捨てた一言が心底冷たい……とか。

 2011年の東日本大震災と原発事故でも、被曝(ひばく)リスクに関する意見の違いで離婚に至った夫婦があったと聞いた。非常時の言動がもとで、修復不可能なほど強い不信感を抱いてしまうことがあるのだ。