日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん。子育ても終盤にさしかかり、「これまでとは違う新たな一歩」を踏み出しつつある小島さんが、新たな気付きや挑戦を語っていきます。今回のARIAな一歩は、「失敗できる場所」。

『#駄言辞典』は、心当たりのオンパレード

 『#駄言辞典』(日経BP)を読んだ。治部れんげさんが、事例集に腹が立って思わず電車の中で本を閉じたというあれだ(「治部れんげ 怒りのあまり、電車の中で読むのを止めた」)。目指せ絶版!という志あふれるキャッチコピーから、こんな本が必要なくなる世の中にしたいという熱い思いが伝わってくる。

 駄言とは「古いステレオタイプによって生まれたひどい発言」。辞書で引くと、「駄」には値打ちのないつまらないもの、粗悪なものという意味が。知識と想像力に欠け、ウケ狙いや励ましのつもりで繰り出される無神経な言葉の数々、そう、その雑さ!

 事例集は、言われたことあるあるとか、やばいこれ昔言ってしまってたかもという言葉がいっぱいだ。たぶん、全く思い当たらない人はいないんじゃないかと思う。

 日常生活の中にはまだ、いろんな決め付けがある。女なんだから、男のくせにとつい考えてしまった経験は誰しもあるだろう。「彼氏いないの?」「結婚しないの?」と聞いちゃうとかね。私もかつてはよく尋ねていた。それが無難な話題だと思っていたから。

 この本のいいところは、じゃあどうする? がちゃんと書いてあるところ。駄言を言われた時、言ってしまった時、どうすればいいかを考察している。詳しくは本に書いてあるのでここでは詳述しないが、やっぱり基本は「知ること、想像すること、変わること」なのだなあと思う。そして、そのためにも失敗する余地を残すことも大事なんだなと。変化の中では、安心して失敗できる場をつくらないと、不安のあまり攻撃的になって、分断が深まってしまうと思うからだ。

「個人」に対して声を上げることの難しさ

 もちろん、国や企業の制度がおかしい時や対応が不十分な時などは、きちんと「それはおかしい。変えるべきだ」と言うことが大事だ。いろんな人がそうやって声を上げてきたから人の世は少しずつ進歩してきた。社会を変えるにはそれなりの声量とエネルギーが必要だ。

 ただ、対個人となると同じようにはいかない。「それはおかしい!」と正面から抗議することが難しいことも多い。人間関係ってそんなに単純じゃないからね。

 ある知人は、交際していた女性と別れて落ち込んでいる時に、友人から「じゃあ次は普通に男子と付き合いなよ」と言われたそうだ。知人は女性で、自身が同性愛者であることを伝えていたので、「じゃあ次は普通に男子と」という友人の言葉に失望した。けれど、 “普通”の押し付けはやめてほしいと正面切って言うことができず「いや、付き合う相手は次も女性だよ」とだけ答えた。その時の態度から相手はハッと気づいたらしく、今では同性愛だけでなくLGBTQをめぐるいろいろな社会課題に詳しくなり、誰よりも頼りになる存在になっているという。