日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん。新型コロナウイルス禍で長らく日本から出られない状況が続いていましたが、先日、約2年ぶりにオーストラリアへの渡航が実現、家族との再会を果たしました。前回に引き続き、久しぶりにパースの家で過ごした日々と、その中での新たな気づきを語ります。今月のARIAな一歩は、「ホーム」。

東京の「出稼ぎ部屋」の風景が、パンデミックで一変

 あなたにとっての「ホーム」はどこだろうか。長く住んでいる場所が必ずしも自分にとっての故郷とは限らない。居心地のいい「おうち」に出会うまで長い時間のかかる人もいるし、人生の途中で変わることももちろんある。

 今回、パンデミックで長らくオーストラリアに入国できず、2年2カ月ぶりに西オーストラリア州・パースで暮らす家族の元に戻った私は、ついにここが本当の「ホーム」になったと感じた。

 生まれてから3年間を過ごしたこの街の記憶は、私の人生の原風景だ。だからこそ、2014年に息子たちと夫を連れて引っ越したのだが、出稼ぎ母さんの私は日豪行ったり来たりで、ずっと東京にもパースにも居場所がない感じだった。

 引っ越して数年で、パースは息子たちと夫にとって、もはや珍しくもない「地元」になった。だけど私にとってはいつも「旅先」。だって、また数日か数週間で日本に行くことが決まっているんだもの。日本で一人暮らしの部屋にいても「こんなわびしい暮らしは私の本当の人生じゃない、ここは単なる出稼ぎ部屋だ」と思っているものだから部屋に愛着が湧かず、ベランダに出てみることすらなかった。

 そんな暮らしが、パンデミックで一変した。移動ができなくなり、私は図らずも東京の定住者となった。一人ぼっちの部屋で、巣籠もりの日々を過ごすことになったのだ。

 不安で眠れない夜を過ごすのも、寂しさに涙するのも、ビデオ通話の画面の向こうの家族と励まし合うのも、この30平米余りのウナギの寝床だ。やがて、味気ない仮住まいは次第に色彩を帯び、見えていなかった長所も見えてきた。窓の外の殺風景な都会にも四季があり、街は毎日表情を変える。せめて命ある同居仲間が欲しいと買った鉢植えに水をやると、小さなバラの花が咲いた。ベランダからは、ビルの向こうの夕焼けが見えた。

パース滞在中、散歩の途中に夫が撮ってくれた写真。南半球は秋です。この日は風が涼しくてビーチもハーバーも人影まばら。2人でのんびりと歩き回ることができました
パース滞在中、散歩の途中に夫が撮ってくれた写真。南半球は秋です。この日は風が涼しくてビーチもハーバーも人影まばら。2人でのんびりと歩き回ることができました