日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん。子育ても終盤にさしかかり、「これまでとは違う新たな一歩」を踏み出しつつある小島さんが、新たな気付きや挑戦を語っていきます。今回のARIAな一歩は、「夫の長い旅」。

私たちの関係は、新しいフェーズに入ったらしい

 もう、親元にいた期間よりも長い年月を夫と過ごしている。

 いま東京で私が文字を打ち込んでいるパソコンの脇のiPadには、オーストラリアのパースでやはりデスクのパソコンに向かって作業している夫が映っている。別に話すことがなくても、つないでおく。画面越しに気配を感じるだけで安心する。2年ぶりぐらいに、そんな日常が戻ってきた。胸に嵐が吹き荒れるようになってから、二人だけでつなぐことはなくなっていた。息子たちがいれば、私と夫は仲の良いチーム家族の一員同士でいられる。でも二人きりになると、そのバランスが崩れて、苦しくなってしまう。ところが今はまた、夫の存在を近くに感じていたいと思うようになった。

 どうやら私たちの関係は、新しいフェーズに入ったみたいだ。「そんな気がしない?」と夫に言ったら、画面の中で振り向いて「そうだね」と笑った。「……私たち、努力家だよね」「うーん、二人とも諦めないよね。しつこいというか」そうだった。これまで夫が過去にしたことをめぐっていろんなしんどいやり取りがあったけれど、夫婦なんて形だけでいい、という投げやりな態度にはどちらもならなかった。それが私たちが替えのきかない間柄であり続けている理由なのだと思う。

 数年前、次男が成長し、親よりも友人たちとの世界を大事にする年齢になった。そこで長年封じていた夫婦の問題を棚卸しした。怒りが噴き出し、子どもが寝た後の夫婦のビデオ通話はなくなり、長いテキストのやり取りに変わった。人を許すのはなぜこんなに難しいのだろうと苦しんだ。

 でもやがて、彼のしたことを死ぬまで許さなくても、生きて変わり続ける彼という人と一緒にいることは可能だと気がついた。過去に彼が無知ゆえに行った行為とそれを生んだ社会構造に対する怒りは今も変わらない。その火は消えずに胸の内で燃え続けるだろう。ただ、怒りで夫の過去を照らすのではなく、今日昇った太陽の下で、今の彼を見ることが、一緒に生きるということだ。燃え盛る炎に目を奪われると、目の前の彼は闇に沈んで見えなくなる。私がひとり業火に焼かれている間に、彼は暗闇の中で妻の言葉をゆっくりと消化し、考え、学び、変化していた。