日本で働き、オーストラリアで家族と過ごす「往復生活」をしている小島慶子さん。子育ても終盤にさしかかり、「これまでとは違う新たな一歩」を踏み出しつつある小島さんが、新たな気付きや挑戦を語っていきます。今回のARIAな一歩は、「AIとの関係」。

 あなたは、Siriやアレクサを罵ったことはあるだろうか。私は、ある。テクノロジーはどんどん進化するけれど、悲しいかな、それに伴って人間がより理性的な動物へと進化するわけではないみたい。

 今やSiriとかGoogleまんじゅう(編集部注:Googleのスマートスピーカー、Google Nest Miniのこと。おまんじゅうそっくりの見た目からこのような俗称が発生)とか、こちらから話しかければ応答する機械たちが身の回りに常在している。AIというまだ研究途上の技術が生活の中に実装されるのは、物珍しくもありいかがわしくもあり、時に人を不安にさせるものだ。だから機械とのコミュニケーションでは、普段の社会生活では封印している野蛮さが露呈しやすいのかもしれない。

 現にアメリカや韓国では、会話を楽しめるAIキャラを作ったらユーザーが暴言ばかり聞かせたものだから、それを学習してすごいヘイト発言連発キャラになってしまい使用中止、という事例もある。人目につかないところで身元を隠して口にする言葉は暴力的になりやすいようだ。AIを使ったサービスは開発チームのバイアスや既存のデータの偏りが反映されてしまうという問題もある。

人の本質は中世の頃と変わらない

 SNSでもそうだが、オンライン上での人の振る舞いは、噂話をもとに人が処刑された中世の頃とあまり変わらないようにも見える。たぶん人間の本質は、初めて言葉を持った頃からそんなに変わっていないのだろう。それで殺し合いにならないように一部の賢い人々が知恵を絞って多大な犠牲を払いながらなんとか調整してきたのがリアル社会で、オンラインに移行したからといって人類が自動的に一気に高等になれるはずもない。むしろ既存の規範から自由になって、蒙昧(もうまい)に戻ってしまう面もあるだろう。

 テック業界や研究者の皆さまは、素人の愚痴には付き合いきれんとここまでにすでに読むのをやめているだろうけど、まだうっかり字面を追っているそちら方面の方には、これを「それが何かもよく分からずに新しい技術を使い始める羽目になる大多数の人間」の生活実感の1つとして読んでもらえれば幸いだ。インターネットの仕組みはおろか、はるか昔にキッチンに登場した電子レンジでさえも、なんで中に入れた餅が膨らむのかいまだに正確に説明できないまま日常使いしている、民の声だ。そしてそんな技術や道具とのやり取りが、知らぬ間に人の言動やものの考え方を変えていく。