子育てが一段落し、夫からの精神的・経済的な自立を果たした40代前半、小島慶子さんはかつて夫が取った行動により受けた心の傷に再び苦しむようになりました。前編「小島慶子 なぜ私は『エア離婚』したのか(上)」に続く後編では、「エア離婚」成立後に湧き起こった、自身の内面や夫に対する感情の変化について語ります

二人の息子に教えたかったこと

 「有毒な男らしさ」にとらわれて感情を殺すことに慣れてしまった男性は、不安や迷いに直面したときに思考停止となり、力や金で解決しようとする。その結果、犠牲になるのは女性や家族である。二人の男子を育てる身としては、息子たちには夫と同じ徹(てつ)を踏ませないようにする大きな責任がある。だからこそ、いつも息子たちの身近にいる人物、つまり夫の言動を、息子たちが客観的に見ることができるようにする必要があった。それが家族会議を開いた動機の一つでもある

 夫と別れたいと思う自分を責める私を池から引き揚げてくれたのは、友人たちだった。みんなでランチをしていたとき、ある友人に「ちょっと、認知がゆがんでるよ!!」と言われてハッとした。彼女は言った。「前に私が実母との関係を話したときに、あなたたちみんな『それ毒母だよ!』って教えてくれたよね? それで私、我に返って母と別居して、おかげで今では家族が平和に暮らせてる。あのとき、慶子さんも私に『自分が悪いと思ってるけど違うよ、それは離れなきゃだめだよ』って言ってくれたじゃない? 今度は私が言うよ。慶子さん、それ全然悪くないよ。別れていいよ」と。