東京・恵比寿の地域密着型WEBメディア「恵比寿新聞」編集長の髙橋ケンジさんの人生は、いきあたりばったりで、破天荒、そして即興的。中学卒業と同時に家出をし、少年〜青年期は、宿なし・居候を繰り返す極貧生活を楽しみます。その享楽的な生活も、ある運命的な出会いによって終わりを告げるのでした。

3400円だけ持って「家出するわ」「お好きにどうぞ」

 自分に正直で、自由であり続けると、険しくも自分らしい楽しい生き方ができる。そんな僕の即興的な人生の始まりは、15歳で家出したことだった。

 僕は奈良県橿原市の出身で、小学校のときからイジメられていて、学校も地元も、そこにいる人たちもみんな大嫌いだった。中学2年生の途中から学校に行かなくなって、代わりに、大阪でアパレルブランドの経営とクラブDJをしていた叔父の会社に行くようになった。

 大阪まで電車で約40分。地元の駅のコインロッカーで学生服から私服に着替えて、叔父の会社へ。そこでヒッピーみたいな人やモデルみたいな人たちを観察し、夜になると叔父にくっついて当時大阪で一番はやっていたクラブに裏口から入った。

 DJプレイを盗み見て、電車があるうちに家に戻るというパターン。当時はバブル絶頂。とてつもないエネルギーが渦巻いていた。大人たちが自由を謳歌しているのが、とても美しく見えた。叔父が何も聞かないで、「好きにしたらええやん」と未成年の僕を受け入れてくれたのが、ガキながらありがたかった。

「朝、家を出たら中学校へは行かず、駅へ直行。大阪に通っていました(笑)」
「朝、家を出たら中学校へは行かず、駅へ直行。大阪に通っていました(笑)」

 そして、中学を卒業すると同時に家出を決行。母に「家出するわ」と言ったら、「お好きにどうぞ」と返ってきた。しょっちゅう家出をすると言ってはおなかがすくと帰ってきたから、いつものことだと思ったそうだ(あとで聞いたら、死ぬほど心配して捜索願を出したのよ! と、どやされた)。

 お気に入りの服とレコードだけを持って、まず駅へ。切符を買おうと、ズボンのポケットに手を入れたらチラシの端を破った紙に書かれた電話番号が出てきた。それは、大阪の叔父の会社に遊びに行ったとき、道を聞かれて案内した女性からもらったものだった。