不義理をしてDJ業界で干される

 DJとして人気が出るにつれてプレーできる日が増え、1年後には毎日プレーするように。その頃の居候先は、クラブのオーナーの家。景気がよかった時期で、大人のイロハを教わりながら、僕も18歳になっていた。ある日、オーナーから「うちのクラブにも新しい風を吹かせるために東京のクラブで武者修行して来い!」と言われて、1週間上京することになった。

 東京に行くなら絶対に会いたいと思っていたDJがいた。まだ奈良県に住んでいた頃に聞いたラジオのDJ MIX番組で感動のプレーを披露していて、いつか会ってみたいと憧れていたTOSHI MAEDAさんだ。

 東京で面倒を見てくださる方を通じ、その憧れのTOSHIさんと1週間の東京クラブツアーを回るという幸運に恵まれたのだ。その最終日、僕の人生を大きく変えることとなる青山の「MIX」というクラブへTOSHIさんと行った。

 表参道の駅までずらりと並んだ行列。店内はぎゅうぎゅう詰め。ダンスフロアには天使のように美しく踊る女性。音楽に感動し、泣きながら踊るドレッドヘアのお兄さん。そんな光景を見て、僕は「この店で働きたい」とオーナーに懇願した。

 でもオーナーは、「ガキが働く所じゃないから。大人になったらおいで」と一蹴。TOSHIさんにも弟子入りをお願いしたが、あっさり断られた。が、ちょうど弟子を探していたという人気DJのATSUSHI OKUBOさんを紹介してもらい、20歳になったら上京するということが何となく決まった。

 そしてようやく20歳になった時、当時付き合っていた彼女と上京。ATSUSHIさんに弟子入りして青山の「MIX」で働きながらあちこちのクラブをついて回るようになった。数年間は、師匠のレコード運びと照明係として尽力し、空いた時間でDJをさせてもらっていた。そうしているうちに、僕自身にもオファーがくるようになり、一人でプレーを任せてもらえるようになった。順調に自分の現場を増やしていけたが、あるとき、うっかりATSUSHIさんと自分の現場をダブルブッキングしてしまった。

 どっちに行くべきか。

 自分のことしか考えていなかった僕は、自分の現場を選んだ。その結果、ATSUSHIさんの弟子を即クビに。クビになったことは、クラブ業界にすぐ知れ渡り、誰も相手にしてくれなくなった。自分の現場も失い、一緒に暮らしていた彼女も「インドに行く」と言ったきり帰ってこなくなった。彼女と折半していたマンションの家賃を払えなくなり、世田谷線の線路沿いにあるボロボロの木造アパートに引っ越した。

青山「MIX」で働いていた頃
青山「MIX」で働いていた頃