高知のDJバーで、時給450円で働き始める

 Iさん、20代後半って感じの人だったなぁ。電話番号が088って……、そういえば高知に住んでいるって言っていたなぁ。

 ふいに、僕は高知に行く運命なんだと悟り、奈良から近鉄線に乗って大阪に出た。道行く人に高知までの行き方を聞き、高知行きのフェリー乗り場があることを知る。が、3400円の所持金じゃ、フェリー代には足りないことが判明。どうやったら高知にたどり着けるのかと考えた末、乗船待ちのトラックにお願いして潜り込ませてもらい、なんとか高知にたどり着くことができた。

 高知に到着するなり、Iさんにすぐ電話した。僕のことを覚えてくれていたけど、高知に来たと言ったら「えー!? あんた何しに来たがぁー??」と高知弁で声を裏返して驚かれた。親にちゃんと言ってきたのかどうかを気にしつつ、かといってしつこく詮索することはなく、3カ月間も居候させてくれた。しかも、いろんな友達を紹介してくれて、その中で仲良くなった人のつてで、僕はDJバーで働けることになった。

「Iさんは、1回しか会ったことがない僕を家に置いてくれたんです」
「Iさんは、1回しか会ったことがない僕を家に置いてくれたんです」

 15歳でバリバリの未成年。それでも採用になったのは、大阪の叔父がクラブ業界で有名な人だったからだ。時給は450円。今でも忘れられない安さで、主な仕事は皿洗い。暇な時だけ、DJブースに立たせてもらえた。

 働き出してからはお店のスタッフのS君の家に居候したが、礼儀も知らない僕は2カ月ぐらいで追い出されてしまった。行く所がなく、僕は近くの公園で野宿をした。ベッドはベンチでトイレは公衆便所、お風呂は友達の家で入らせてもらう、という生活を約半年間。暖かい布団のために、Yちゃんという女の子と付き合ったことも……(つい最近、Yちゃんからフェイスブックの友達申請がきて、すかさず謝罪した)。

 そんな宿なし生活をしながらも、DJとしては順調に活動できて、高知で一番大きいクラブで最年少の専属のDJとなっていた。