オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。今回はバレーで3度のオリンピックに出場した大林素子さんの後編です。
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「女優の夢」を胸に秘めて始めたこと
―― 引退してからすぐにスポーツキャスターとして活躍し、アスリートとしてのセカンドキャリアは順調そのものでした。
大林素子さん(以下、敬称略) 私が本当にやりたかったのは女優です。でも、つい昨日まで汗まみれになっていた私がすぐにやれるはずもないので、夢は心に秘め、マイクを持って表現することから勉強しようと考えたんです。まずはバレーの解説やリポートから始め、マイクに慣れた頃、モータースポーツの世界に足を踏み入れました。
自動車レースの世界は専門的な知識が必要で、いわば村社会。私がドライバーやピットクルーにマイクを向けても無視されたり、「でっかいのがうろうろするな」と拒否されたり。
大林 ただ、逆境にひるまない精神だけはバレー生活17年間で培っていたので、拒絶されても何度も何度も足を運びました。するといつしか、気難しい人たちから話しかけられるようになったんです。ある日、F1ドライバーだった片山右京さんを取材するとこんな答えが。
「レース前は、いつも遺言のような言葉を交わします」
衝撃でした。私も試合には死ぬ覚悟で臨んでいたけど、本当の意味の「死」は考えたことはなかったし、やはり甘い部分があったかもと反省させられることしきり。右京さんの言葉に衝撃を受け、ドライバーの言葉を本当に理解するには自分もレーシングカーに乗る必要があると、A級ライセンスを取ってレースカーを操り、レースチームも結成しました。