史上初のメダル無し「日本に帰れない」

 すると山田監督は、「もう、お前たちの五輪は終わった」と、白球に次々とキリで穴をあけ、ネットをナイフで切り裂いた。私たちは泣きながら「やめてください」と止めていたけど、「五輪に出るというのはこういうことなのか」と心臓をえぐられるような思いでした。

 ソウル五輪では初戦が旧ソ連。私たちは仮想旧ソ連を徹底して練習していたので、フルセットの上、勝利しました。しかしこれが良くなかった。準決勝は伏兵ペルーだったのですが、優勝候補の旧ソ連を破ったこともあり、ペルー戦も勝てるだろうと考えてしまった。「勝つと思った途端に負けが始まる」という勝負の掟を忘れていたんです。結果、フルセットで負けました。これで金メダルはもう無い……。その衝撃があまりにも大きく、3位決定戦では中国にストレートで負け。女子バレー史上初のメダル無しです。

 銀メダルだったメキシコ五輪の人たちから「金メダルじゃないのか、と石をぶつけられた」と聞いていましたし、銅メダルのロス五輪の選手たちは、「こんなものいらない」とメダルをすぐに首から外したと言っていたのに、そのメダルさえ取れなかった私たちは戦犯です。もう日本には帰れないと思いましたね。

―― 1990年代から世界のバレーのトレンドが変わりました。日本の拾ってつなぐバレーからパワーバレーへ。データバレーも重用され、海外の強豪選手は皆プロになっていきましたね。