オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。

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(下)五輪で惨敗…でも、マラソンとは離れられない私の人生

小鴨由水(こかも・ゆみ)
小鴨由水(こかも・ゆみ)
1971年、兵庫県生まれ。1992年の大阪国際女子マラソンに出場し、初マラソンながら2時間26分26秒の日本最高記録で初優勝。バルセロナ五輪に出場(29位)。1993年に引退して龍谷大学短期大学に入学。1996年、岩田屋に入社してマラソンに再チャレンジするも、陸上部廃部に伴って退社。その後、福岡市立障がい者スポーツセンターなどの指導員として勤務するかたわら、市民マラソン大会のガイドランナーとしても活動。2児の母

ヤクルトレディ、生保レディ…引退後は色々な仕事をした

―― バルセロナ五輪女子マラソンの代表選考を兼ねた大阪国際女子マラソン(1992年1月)で、当時の日本最高記録を樹立した小鴨由水さんは「陸上界のシンデレラ」と大きな注目を浴びました。しかし、五輪に出場した翌1993年に21歳で引退。その後の人生はまさに波瀾(はらん)万丈でしたね。でも今、表情がとても穏やかです。

小鴨由水さん(以下、敬称略) 他人から見れば波瀾万丈に見えるかもしれませんが、目の前に突き付けられた現実をクリアするのに無我夢中だったこともあり、自分では苦労してきたという思いは全くないんですよ。それに自分で決断し行動してきたことなので、人生に後ろ向きになったことは1度もないですね(笑)。

 引退後はいろいろな仕事をやりました。実家のある兵庫県明石市から福岡市に居を移し、デパートの店員、障害者スポーツセンターの運動指導員、ヤクルトレディ、生保レディなどを経験し、今は生命保険会社の代理店を経営しながら、障害児を放課後にあずかる「放課後デイサービス」や、知的障害児のマラソン教室「かものこクラブ」の運営、そして西日本短期大学で特別講師もやっています。

 私生活では26歳で結婚して二人の息子を授かったのですが、14年後に離婚。その2年後に元夫が急死してしまいました。